やっぱりでてきたマスク・ファッショ

街にでてはいけないというけれど、街にでないと買い物ができない。
布団を干すときに手すりに挟むストッパーが、経年劣化で折れてしまったから、地元にあるホームセンターにでかけてきた。
初夏の好天に、布団を干したくなったからである。

どういうわけか、店内はマスクを着用しているひとたちばかりであふれている。
着用していないひとは圧倒的にすくない。
パッと見たところ5%ぐらいか?

しかし、このホームセンターでも「欠品」しているから、いったいどこで購入しているのだろうか?
わたしは以前から花粉症でもないので、風邪をひいた時用にしかないので、在庫は僅少である。
気がついたら、どこにも売っていない、という状況になっていた。

そんなわけで、まるで他人事とはおもえない「事件」が、29日に報道されておどろいた。
大阪の電子専門学校で、新年度の授業内容を話し合う会議に、マスクを着用していないことを理由に懲戒処分を受けた講師がいて、講師の「どこに行っても買えない」とした弁明を学校から拒否されたという。

まさに、ファッショ(結束主義)、である。

ホリエモンこと堀江貴文氏が指摘しているように、「非科学的」対応の最たるものが「マスク着用」であるから、これを積極的に推進する日本政府に彼が呆れているのもうなずける。

どういうわけか、「アベノマスク」なる用語がうまれて、いつのまにか布製マスクの「効果・効用」の議論から、「予算額」や「発注先企業名」というはなしにすり替わった。

全国に配布されるのが、一家に二枚、という日本の「家族構成」をかんがえるとじつに「意味深」なことも議論されない。
高齢化と少子にくわえて、シングルによる子育てや、シングルのまま生きる、という「価値観」とどう折り合いをつけたのか?

しかも、これ自体、政府の仕事か?

今回の新型コロナウイルス禍で見えてきたものに、専門家への不審、がある。
密室で、だれだかわからない「専門家たち」が、理由がなんだかわからないまま「基準」を変えたり、なにかを決めて、それを命令する。
原発事故以来、このパターンは何度目か?

一貫しているのは、専門家への不審が、「科学への不審」に転化しはじめたことだ。

わが国の国是は、科学技術立国だったはずである。
科学技術あっての輸出こそ、国をあげて稼ぎ出す、ということの源泉だからだ。
それが、根底から揺らいでいる。
学校も長い休みで、ちゃんとした先生からの科学的解説を子どもが聞けないということも、「根底」の一部である。

もちろん、「外貨を得る」ということでいえば、「観光」だって、外国人相手なら「輸出」に相当する。
たとえば、独立前の昭和24年にできた『国際観光ホテル整備法』は、その第一条(目的)に、以下の条文がある。

(目的)
第一条 この法律は、ホテルその他の外客宿泊施設について登録制度を実施するとともに、これらの施設の整備を図り、あわせて外客に対する登録ホテル等に関する情報の提供を促進する等の措置を講ずることにより、外客に対する接遇を充実し、もつて国際観光の振興に寄与することを目的とする。

しかし、わが国は「観光立国」になり得ないし、世界を見渡して「観光立国」を実現している国など、ほとんどない。
なぜなら、「経済規模全体」にくらべて、「観光」の割合が小さすぎるからである。

しかし、幻想をいだくひとたちがたくさんいるから困るのだ。
今回、「知事」クラスで、妙なことを言い出したのは、わかりやすいところだけで、神奈川県、沖縄県、岡山県、それに大阪府などである。

神奈川県は、観光地にある県営駐車場で、他県ナンバーを拒否することにした。
沖縄県は、万人単位の本土等からの予約があることに、キャンセルせよといっている。
岡山県は、高速道路の県内料金所閉鎖を道路会社に要請し、拒否された。

どちらさまも、「観光客を拒否する」という決定をした。
それが、どれほどの効果があったかなかったではなく、責任ある立場のひとが、「決定した」ことが重要なのである。

果たしてその「根拠」はなにか?

これは、花粉症以外で、いまマスクを着用しているひとにも聞きたい。

まさか、コロナウィルスからの感染予防、などという「非科学」をもって「根拠」だと主張されては困るのだ。
科学的根拠が希薄な「モノやコト」に、精神的な同調圧力がくわわって、「みんなでわたればこわくない」をやっているにすぎない。

この同調圧力の正体が、ファシズムである。

そして、日本人特有の「潔癖症」が、さらに圧力を高めるのだ。
この「潔癖症」も、衛生的なことではなく「穢れ」にたいする「不浄」という嫌悪なのだ。
前に「えんがちょで感染予防する」で書いた。

子どものあそびから、社会的な「嫌悪」に発展すると、それが「差別」をつくる。
大阪府は、パチンコだけ「自粛」をすぐさま「強制」にしようとして、これを兵庫県が「実施」した。ここに至って、「自由」ゆえの「自粛」とした憲法の「け」の字もないが、だれもいわない。

わが国の「幼稚さ」では、すまされない「愚」に気づくべきだ。

果たして、科学をおしえる専門学校で起きた差別に、「行き過ぎ」と抗議したのは職員労働組合である。
ぜひ、「科学」を根拠にした抗議を貫いてほしい。

しかし、ご都合主義丸出しで、ふだん「観光立国」をいう知事たちの「幼稚さ」とは、選んだ住民の幼稚さを反映したにすぎない。
それに、緊急事態宣言を「延長」する中央政府だって、ぜんぜん科学的根拠に自信がないから、きっと「ダラダラ」緊急事態をつづけるにちがいない。やめる基準を「事前に決めていない」からだ。

つまり、「自粛」ではなく、スターリンが根拠なく自国民を死においやった「粛正」がはじまったのである。

こちらは、いかがいたしましょうか?

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