やばい産学連携の悪夢

学者が信用できなくなった理由のひとつといわれているけれど、その「被害」の深刻さは、「自然災害並」なのである。
それを厳しく指摘しているのが、シェルドン・クリムスキー『産学連携と科学の堕落』宮田由紀夫訳(海鳴社、2006年)である。

この著作には、産業界の「儲け主義」に、大学の研究者たちが呑み込まれて、研究者たちの興味が「金銭」に変容するメカニズムがえがかれている。
そしてそれが、有名校や名門校の教授職の「権威」と結合すると、「利益相反」が発生し、組織的な堕落を生じるという。

かんたんにいえば、学内や教授がもつ研究成果をもとに起業(ベンチャー)すると、「利益」をめぐってたいがいが「壁」に衝突する。
それは、儲からないということもあるけれど、もっと深刻な「研究の誠実さ」との衝突なのである。

そして、研究者であるよりも、起業者(経営者)としての立場が優先して、ほとんどが「利益」を優先させる行動を選択する。
いわゆる、「金に目がくらむ」のである。
ところが、目がくらむ対象が「先端技術」や「先端科学」であるから、一歩まちがうと、社会に甚大な被害をもたらすことがある。

「両刀の刃」なのである。

ほんらいの産学連携には、研究者には研究費の調達というメリットがあって、研究費を提供する産業界には、あたらしい知識を社会にもたらすことへの「貢献」という位置づけがあった。
つまりは、「企業の社会的責任」としての、利益の「社会還元」だった。

しかし、短期的売買による株式投資家の立場にある株主からみたら、その社会還元分をよこせ(株主利益に直接反映させよ)、という概念がうまれる。
ここに、研究成果は人類共通の財産だとする、「学問」との対立が発生するし、研究者が設立した企業なら、それが自身の心にあらわれる。

こうして、「堕落」がはじまるのだ、という主張だ。

この関係に、「官」が加わると、より強力になる。
いまや古典的とさえいえる、「軍事技術開発」がその典型だ。
原爆開発プロジェクトだった、「マンハッタン計画」があまりにも有名である。

しかし、兵器・武器を開発してこれを販売する国は、「産官学」の連携どころか「連合」となって、世界で販売競争をしている。
だから、たとえば核兵器開発にあたる研究者には、科学者としての「倫理」が議論の対象になったのだ。

研究者にとっての興味を充たす研究対象が、兵器開発になるということのどうしようもない実態がある。
対して、科学者が経営者になったばあい、どちらの「倫理」が優先すべき議論になるのか?という厄介がある。

上述のように、研究者もほとんどが凡庸な人間だから、たいてい金に目がくらむのである。
そして、正当な理由づけをかんがえる。
それが、儲けを優先させた理由を隠すための理由づけになること必定だから、研究の方がゆがむのである。

さてそれで、この「警告」は、科学全般におよぶどころか、「大学全般」におよぶ。
なぜなら、大学全般が「金に目がくらむ」ようになるからである。

著者がアメリカ人なので、アメリカでの実態が書かれている。
ここで、日本人として注意しないといけないのは、アメリカにはわが国のような国立大学が「ない」ことだ。
私学「しか」ないので、高額な授業料と寄付制度で成りたっている。

国にあたる「州」には、「州立大学」があるけれど、有名なカリフォルニア州立大学を除くと、ほとんどの州においては、「職業訓練校」の位置づけが強く、わが国の専門学校により近い。

高額な授業料とは、だいたい年間で6万ドルほどかかる。
わが国の数倍にあたるから、学生の授業品質に対する評価も厳しい。
「ちゃんと教えろ」ということになる。

それで、強烈な分量の宿題を講義受講の前提条件にして、めちゃくちゃな「詰め込み教育」をしている。
どの科目も、宿題がハンパないのだ。
よって、学生は勉強漬けになるのがふつうで、学生スポーツに興じる暇はない。留年なんかしたら、授業料負担が容赦ないのだ。

これが、高校までと大学卒業時における「学力」の日米比較で、わが国が逆転・完敗している理由にもなっている。

そのわが国で、産学連携がさかんになったのは、2000年(平成12年)頃からのことである。
あたかも、産学連携のメリットばかりが世の中にあるのも「異常」なのである。

日米ともにをこえて、世界中でおかしなことになった、コロナ・パンデミックを「真の学術的」に語る現役の学者(「名誉教授」ではなく)がほとんどいない。
場面はかわって、昨年の10月からおきた「調布陥没」で、弁護側は「有識者会議」の報告書に疑義を表明しているのも、「産学連携がからむ」とみてよいだろう。

そして、わが国のばあいは、「産学連携」というよりも、「官・学」で、「学」がまた「国立」ばかりだったりする。
「官」には、やっぱり経産省がでてきて、2001年に「大学発ベンチャー1000社計画」という余計なお世話をしている。

これに、総務省、厚労省、そして元締めの文科省がつづく。

その成果が大学のベンチャー企業「数」で、笑っちゃうほど熱心な東大が、やっぱり「1番」で200社あまり。
つづく京大が100社弱で、その後も旧帝大がおおい特徴がある。
私学では、早稲田大学がおおいのも、「堕落」の証拠になっている。

大学は、どうやって「学問の信頼」を社会からえるのか?をかんがえないといけない、「やばい」ことになっている。
坂口安吾『堕落論』でも読んで反省しろという、文系の学者もいなくなった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください