インスタうけという価値

ネット社会も,インターネットが珍しい時代から,あっという間にSNS全盛に進化した.
これは,技術的な進化にはちがいないだろうけど,文化的にはどうなのだろう?
見た目が勝負,ということの意味は?と,インスタうけ優先を横目からみると,無邪気によろこんでいいものかうたがいたくなる.

それは,内容ではなく「外観」がすべて,になってしまう危うさをかんじるからである.
ちょっとまえに指摘されたのは,「ランキング」だった.
情報があふれて,どんどんやってくるし,ネットで検索しても,似たような情報がたくさんある.
だからといって,それらの情報が,「正しい」のか「間違っている」のかの判断が,個人ではわからないことがふつうになった.
そこで,「ランキング」が重視される世の中になった.

その,「ランキング」も,むかしのように百位とか五十位からのスタートではない.
十位すら冗長で,トップ三しか数えない.
四位以下は,あっさり切り捨てられてしまうのだ.
それで,消費者向けの商品のおおくは,寡占化することになった.
だから,たいがいの商品は,みんなおなじものを持っている(コモディティ化)ので,極端なニッチか超高額なブランド品がいよいよ目立つようになった.

大メーカーは,あいかわらずの大量生産志向がやめられない.
それで,たいそうな「ビッグデータ」解析という趣向をもって,「マス」のうごきをつかもうとしている.
しかし,その「マス」自体が,「ランキング」に依存してとっくに流動化しているから,「過去分析」をいくらやっても傾向はつかめないだろう.

だれかが,「ランキング」にたいして新しい方向を示して,それを多数のひとがフォロアーとなって動けば,あっという間に流れがかわってしまう.
これは,想像以上に危険な世の中である.
「ちゃんとした」ものやことが,「ちゃんと」評価されるとはかぎらないからである.

すると,「ちゃんとしよう」ということのインセンティブがなくなってしまうことだってありうる.
ふつうに「正直者が馬鹿を見る」なら,それは、「不道徳な社会」である.

商売人が,売るために「インスタうけ」を意識するのは「本能」ともいえるだろう.
これに,まんまとはめられてしまうのか,知っていてそうなのか?
つぎのステージで,「本物を見分ける目」が,もっと注目されることになるはずだ,と期待したい.

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