オリンピックの綱引き

子どもの「運動会」での定番といえば、「鈴割り」と「綱引き」だった。

鈴割りのくす玉を先生たちが作っていたけど、作っているところを見たことはなかった。
なにを仕込んで驚かせよう、という楽しみがあったからだろう。
それにしても、思い切り投げてもなかなか当たらないのは、自分の思い通りにはならないものだ、という教訓も込めていたにちがいない。

プログラム最後の「リレー」も花形の定番だけど、お弁当タイムの直前、午前部の最後の定番は「綱引き」だった。

よくもこんな単純で、ある意味バカバカしいことを思いついたものだけど、「こっくりさん」のごとく、集団の力が一致すると、驚くほどの「パワー」がみなぎることが体験できる。
逆に、タイミングがあわないと、個々は頑張っているのに、「あれよ」ともうどうにもならない。

よくよくかんがえてみれば、あの「綱」は、船を係留するための綱ではなかったか?
「麻」でできた、太くて頑丈な綱が腐っていて切れたことがあったけど、そこを解いて、編み直したのをおとなたちがやっていた。

誰かが、「海軍!」と手を上げて大声を上げて呼んだら、数人のおじさんたち(父もいた)が家族席から飛び出して、放送テントの杭を抜いてこれを「編み棒」にすると、あっという間に編み込んで繋げたのを目撃した。

元「陸軍」のおじさんたちは、「へぇー」といって見ていた。
家族席の爺さん婆さんにお母さんたちは、さかんに拍手をしていた。
お弁当タイムでのもっぱらの話題になったときの、あの誇らしげな顔。
これが、昭和40年代のことである。

1920年まで、オリンピックの正式種目だった。
「軍」でも採用されていて、騎馬戦と棒倒し、それに綱引きが三大軍事教練の種目だ。
「旧軍」のばあい、負けると上官からの鉄拳制裁があったから、「本気」だったという。

真剣勝負の最中に綱が切れると死亡もふくめた大事故になるので、いまでは競技用綱の耐用年数は2年とされている。

さてそれで、東京オリンピック開催のための「綱引き」がはじまった。
「開催派」と「中止派」による、こちらは政治的な「パワー・プレイ」になっている。

そもそもの問題は、「パンデミック」だ。
これで一年「延期」された。
すでに「直前」状態になっているけど、世界の「パンデミック」は収まっていないということで、「中止論」がでてきたのである。

「人為」による「偽」のパンデミックではないのか?
アメリカでは、2万人以上の医師たちが、「パンデミック詐欺」を主張するドキュメンタリー作品に支持を表明している。
これまでの死亡者数も、補助金欲しさの「改竄だ」というのだ。

もちろん、「新型コロナウィルス」の存在を確認した「論文」はないし、WHOは、コロナ死亡者の「解剖も禁止」している。
感染する危険がある、という理由だけれど、この「禁」を破ったドイツとイタリアでは、「感染者」の遺体から、コロナ・ウィルスが発見された事例は「一切ない」と発表している。

わが国の国立大学である、岐阜大学の呼吸器教授は、「間質性肺炎」だと「診断」していて、「ウィルス」との関係を否定している。
複数の患者の検体から、いっさい感染症をうたがう証拠が検出されていないからだと説明している。

そこで、元財務官僚の高橋洋一教授が、内閣参与を辞任したというニュースが加わった。
辞任にいたった直接の「原因」は、教授が「さざ波」とコロナ感染状況を表現し、この「表現(いいたいことの「中身」ではない)」ばかりをあげつらうので「屁でもない」と口を滑らせたことにある、と説明している。

「表現をあげつらっている」のは、マスコミだ。
本人は何度も、グラフをつかって「さざ波」の説明をしている。
だれが見ても「さざ波」である。
これが、マスコミには都合が悪い。

それに教授は、オリンピック・ビジネスの仕組みを解説した。
主催者は、国際オリンピック委員会という世界最強の民間団体。
開催地の提供者が、東京都。
よって、開催地側から「中止」を申請すると、超高額「違約金」が発生すると説明した。なお、「国」は直接関係ないことになっている。

おそらく、さざ波よりもこのことの事実が、マスコミには痛かったはずだ。
軒並み低調になった視聴率や、親会社の新聞の凋落を取り戻す、唯一ののぞみがオリンピック報道による起死回生なのだ。

もちろん、東京都から「中止」はいえない。
国際オリンピック委員会「から」中止をいってくれ、という「綱引き」なのである。

ただし、多くの国民の「しらけた」感じがベースにあって、「虚無感」すら漂うのは、「コロナ・パンデミック」とよく似ている。

そして、先日、アメリカ政府は日本への渡航の自由を制限すると発表した。
これは、「北京オリンピック」をにらんだプレッシャーだろう。
もちろん、便利な「パンデミック」が理由である。

ウソにウソを塗り重ねたら、なにがなんだかわからなくなってきた。
これぞ、混沌。
だがしかし、ウソ、なのである。

さてそれで、「PSYCHO-PASS」が明らかになってきた都知事は、「中止」の決断をして、大枚な違約金を支払うかもしれない。
これは「都税の増税」によって賄うしかないけれど、日本政府になすりつける可能性もある。

はたして、企業は「本社」を東京におく必要があるのか?
東京にいながら、「地方税負担」という、あらたな検討課題がふえた。
一方、地方は、東京から「本社」を引き抜く「チャンス」になった。

これは、「智恵」の「綱引き」である。
地方創生のあらたな展開が、東京都知事の「PSYCHO-PASS」からうまれるかもしれない。

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