カジノ考

本年早々1月12日に、さいたま市の中学校で女子中学生が飛び降り自殺したニュースが衝撃的であった。
遺書には、「楽しいままで終わりたい」とあったという。
わが国の実態を思うと、実に胸が痛む。
いったいこの国はどこへ向かうのだろう?

とにかく楽しい場所

カジノ=統合型リゾート(IR:Integrated Resort)は、情報産業(感情産業)である。
複合施設(CF:Composite Facilies)とは根本的に異なる。
CFが、個々の施設をかけ算によって面積を求め、それを合計して同一区域に納めるイメージなのに対し、IRは、目的合理的に施設配置をする。すなわち積分(integral)なのだからCFとの違いは「次元が違う」という認識が必要だろう。
にもかかわらず、「賭博場がやってくる」程度にしかかんがえていないのであろうか?
誘致を推進する側は、わがまちの「観光の目玉」という認識らしい。それは、従来型のCFのことであろう。
なぜなら、CFであれば、既存の周辺施設にも「あわよくばおこぼれがあずかれる」可能性があるからだ。
しかし、「目的合理的」なIRで、それが通用するのか?はなはだ疑問である。IRには,統一テーマがある.

IRは情報産業である

IRが情報産業のなかでも感情産業に進化したものであるという理解のためには、1994年の文化勲章、2010年物故、梅棹忠夫が半世紀前に発表した「情報産業論」(1962年)収録は『情報の文明学』(中公文庫、1999年)が重要な資料になる。
やや荒っぽいが、梅棹先生がいう「情報産業」とは、なにもコンピュータ関連という狭い範囲だけではなく、現在の脳科学や発生学などを先取りして、特に「観光産業」や「宿泊産業」「飲食産業」がそれにあたると主張されている。それは、人の体験型産業のことである。人は脳によってすべて理解する。その脳は電気信号によっている。だから、これらの産業を「サービス業」とか「接客業」というのは間違いであるという。半世紀も前に「情報産業」として事業を再構築するしかないと強く激励しているが、当人たちはいまでも自らを「サービス業」「接客業」と定義し続けている。

サービス業の強制的な産業転換

政府はずいぶん前から、これら「サービス業」の生産性の低さを問題視してきた。製造業の生産性はいまだに世界トップクラスであるが、全産業で比較するとわが国はOECD諸国で中位クラスに転落する。この大きな原因が「サービス業」である。驚いたことに、わが国の「サービス業」の生産性は、OECD諸国で「ほぼビリ」なのである。(これが、おもてなしの国の実態である)
すなわち、「サービス業」の生産性の低さとその改善にしびれを切らした政府が、外から黒船を引き込んだともかんがえられるのである。
かつて、石炭から石油への転換を図ったときには、大変な痛みを伴う争議となったが、今回の「サービス業」から「情報産業(感情産業)」への転換は、どういうわけか当人たちも「期待している」ようである。しかし、残念ながら、その本来の意味を理解せずに、むしろ誤解しているのではないかと懸念する。
「カジノ」としてやってくるIRが「感情産業」であるというのは、人間のもつ「欲望」や「快楽」を「目的合理的」に産業化したものだからである。

投資額ではない,投資期間が問題なのだ

彼らが予定する投資額は1兆円規模なのだ。(2016年12月3日、日経記事)
それでは、彼らがかんがえる投資の回収期間は何年なのだろうか?
わたしは、ベストパターンで5年とかんがえる。
つまり、年間2,000億円のリターンを目指していると推測する。10年としてでも年間1,000億円だ。
しかも、この数字は、「キャッシュで」である。外国人投資家は、投資先の税制など気にしない。キャッシュでのリターンしか見ないからだ。
この規模の利益を吸い取ることの意味は、「地元観光の『台風の』目玉」となって周辺で既存の観光・宿泊・飲食事業を吹き飛ばすということにならないか?宇宙的にイメージすれば「ブラックホール」である。既存事業をすべて吸い込んでしまう。
つまり、IRの地元は、まっさきに自らを「感情産業」のレベルに引き上げて対抗するか、換金できるうちに廃業するかの選択になる。
アメリカのIRは、ラスベガスもリノも、砂漠の中にある。日本では、IRの周辺が砂漠になりかねない。
しかし、この試練は、結局は(IRの地元以外の)業界人の目を覚まさせることになる起爆剤になるかもしれない。だから、一概に一方的に「悪い」ことではないかもしれない。資本主義では、退場も悪ではない。
一方で、わたしの懸念は、キャッシュで残ったものが「円」として留まるのだろうか?ということだ。
これだけ巨大な金額が、「ドル」として流出するということの意味の方が問題だろう。「円安ドル高」だから輸出産業にとっては確かに追い風であるが、果たして為替レートはいかほどになるのだろうか?
輸入品物価の高騰から、制御できないインフレに陥ることはないのか?
日銀が倒産するかもしれないという環境で、日本経済は耐えられるのか?

IRのテーマは欲望と快楽の追求

「欲望」や「快楽」の提供という目的合理性をもつ「カジノ」であるのに、国内の議論であまり耳にしないもう一つのポイントは、「売買春」の問題である。
世界のカジノで、売春婦がいないところはない。この点は、「個人事業」として放置するのだろうか?
もし、日本経済のコントロールが効かないという状況になったとき、日本女性の職場としての確保ということなのか?この分野でも、確実に外国勢との国際競争になるだろう。
経済社会学的には、日本の資本主義(=前期資本制との「混沌」経済)がいよいよ産業資本主義の本格的攻勢をあびるきっかけになることも間違いないだろう。対象となる「サービス業」「接客業」こそが、前期資本制の巣窟だからである。
IRという近代産業資本の権化が、日本の(欧米先進産業資本国から見て)後進的な資本を洗い流してくれるなら、超長期的には悪いことではない。
しかし、もし、今は「誘致」を決め込んだ、業界人たちの悲鳴が嵐となったとき、まさか政府が規制に動くという事態になることはないか?そのとき、日本政府が「事情変更の原則」を理由としようものなら、外資の国内直接投資に大打撃になるだろう。
すなわち、サッチャー女史が英国病克服のために取り組んだ諸政策のうち外資の導入策が、日本病克服に使えないオプションになってしまう。これぞ、日本の自殺行為である。だから規制はできないだろう。
すると、為替の問題に戻ってしまう堂々巡りである。

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