グランドツアーを許せない国

「グランドツアー」は,おもに18世紀英国における「卒業旅行」のことである.
英国貴族の子弟だけでなく,ひろくヨーロッパ文化人にもひろがった「旅」で,目的地はなんといってもいまの「イタリア」であった.
もっとも,われわれがいま知っている「イタリア」は,第一次大戦のあとに統一されたから,「グランドツアー」時代は小国ばかりであったことに注意したい.

ヨーロッパ人にとっての「ローマ」は,都市としてのローマよりも「ローマ帝国」のローマをさす.それで,都市の「ローマ」がふくまれないけど,西ローマ帝国の後継として「ローマ」と名付けた帝国が「神聖ローマ帝国」として誕生し,ナポレオンによって消滅してもハプスブルク帝国として生きのこって,そのハプスブルク帝国が第一次大戦で終わると,今度は「ローマ」をふくむイタリアが統一されるというややこしさである.

長靴半島とシチリア島の歴史の複雑は,日本史の素直さとは一線を画すが,芸術の奥深さは小国の繁栄を背景にするから,日本の各藩のご城下が栄えたごとく,パトロンの存在なくしてはかんがえられない.その意味では,地方分散に利があるというものだ.

英国がグランドツアーの発祥といわれる理由に,大学の質の悪さ,といういまでは信じがたいはなしがある.その質が悪い大学とは,とうぜんケンブリッジやオックスフォードのことで,ある貴族の記録に,英国の大学に進学するくらいならイタリアへの旅行がよほど将来の役に立つとして,子息を進学させず旅行にだしたとある.

どうやら,当時の大学は新しいことを教えるのではなく,伝統的な決まりごとを教えるだけになっていて,教授職で積極的な態度をとると職が危ぶまれるほどだっという.
それで,当時としては月に行くような危険をもともなうけれど,人類遺産の宝庫であるイタリアを目指したらしい.そして,若様にはかならず教師が同行したから,知的刺戟としてかなりの成果もあったのだ.

もちろん,ダメ大学の卒業旅行としてもグランドツアーは行ったから,それなりの年齢幅がある青年たちが,ある意味大名旅行をしていた.そうなると,家格というものも幅をきかせて,随行員の人数もきまったというから,参勤交代の格式のような暗黙のルールもできた.
長男は二年から数年,次男以下は数ヶ月という待遇差も,日本とかわらない.

日本では,「卒業旅行」として,80年代に大ブームになった.就職がきまってから卒業式前の期間に二週間から一ヶ月程度の外国旅行をこぞってしたものだ.インド旅行で人生が変わった若者の話題もにぎやかだった.
60年代からはじまったというが,当時は国内旅行が主で,貧しい学生たちのつつましい旅だったろう.21世紀のいまは,小旅行を何回かするようで,海外旅行よりも国内がえらばれるという.

投資銀行勤務時代,英国人学生の「卒業旅行」のことを聞いた.
就職がきまると,人事担当者からどのくらいの期間の旅行にでるのか質問されるのがふつうで,たいがいの学生は「二年」とこたえるのもふつうだといっていた.長いと四年や五年もいるが,驚くことにおおくは許可されるらしい.
彼は,お金がなかったので「半年」とこたえたら,人事担当者が不思議そうな顔をしたという.

それで,どこに行こうが勝手だが,月に一回かならず会社に連絡をいれるというのが条件で,出社日も指定されるから,まさに現代にも「グランドツアー」の伝統はいきている.
どうしてそんなに長い期間,入社の延長が許されるのかを聞いたら,会社の経費とは関係なく本人が世界を観に行って経験することは,会社にとって悪いことはひとつもない,というかんがえだそうだから,「グローバル」が前提になっている.大英帝国の残滓であろう.

それにしても,二年でも驚くが四年や五年も海外を歩いて,入社が遅れても問題ないことがピンと来なかった.すると,「会社もしっかりしていて,ときたまレポートを要求している」から,あんがい無料で現地調査をやらせている.犯罪や事故以外,めったなことで採用中止にはならないが,あまりにひどいレポートだと,旅行期間の途中でも会社への出頭命令がでるから,放任はしても放置ではないのが立派だ.

会社としては,大学では得られない知識と経験値をもった新入社員に期待していて,本人の人生で家族がないまま外国を渡り歩くチャンスは一度だけだから,互いにメリットがある制度だとして成り立たせている.まさにグランドツアーの伝統だ.

つまり,たとえ新入社員でも対等あつかいなのである.
だから,常識として学生もふざけたレポートなど書きはしない.それこそ,人事記録に汚点をのこしてしまうと知っている.それで,旅先で知り合った他国の学生とネットワークをつくって,情報網として利用しようと行動するが,それを会社も期待しているという構図だからしたたかだ.

日本企業でこんなことをする会社はあるのだろうか?
一斉入社で取り囲み,網から洩らすまいとするのが日本企業だ.
どうやら,心理学でも負けている.
「同期」の競争という発想すらない.

日本でも,グランドツアー,おおいに結構,という文化になってほしい.

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