スマホで「数学する」アプリ

スマートフォンというのはちゃっかりコンピューターである。
人類は、自覚なしにコンピューターを持ち歩く時代に突入しているのだが、「自覚なし」だから、うっかりゲーム機として時間つぶしにつかってしまっている。

人生の時間は「有限」であることに気づくのは、ひとそれぞれであろうけど、なるべくはやく気づいたひとの方が自分の人生をたいせつに生きることができるだろう。

若いときは、時間は永遠にあるものだとおもっているものだから、ようやくさいきんになって「有限」だと気づいたのは、若くないという意味でもある。

ところが、「有限」だと思うと、こんどは妙になにかを学びたくなるもので、「識らぬで死ねるか」という感覚がふつふつとわいてくるから不思議である。
もしやこれが「年寄りの冷や水」ではないか?

まだ還暦になってはいないが、江戸末期=明治初期の日本人の平均寿命が50歳ほどであったことをおもえば、もはや「老人」になっている自分がいる。

そうはいってもいまさら「学者」を目指すべくもなく、うすい「趣味」の一環として「こんなもの」「あんなもの」をみつけると、それはそれで十分にたのしい。

スマホにはいろんなアプリが用意されているのは各人には承知のことだが、無料なのにあなどれないどころか有料アプリをしのぐような「傑作」がまぎれこんでいる。

「原子の周期表」関連では選ぶのが大変だし、「ベンゼン環」を手軽に描けるアプリもある。
「数学」では、「Maxima」という「公開アプリ」があって、無料関数電卓とは別の世界を提供している。

このアプリの前身にあたる「Macsymaシステム」は、MITで1968年から82年にかけて開発されたもので、完成後MITは「Macsymaソースコード」のコピーをエネルギー省に引き渡し、その後「公開」されていまに至っている。

つまり、個人のボランティアが製作したアプリではないし、ソースコードが「公開」されているので、世界中の研究者たちがいまも「改善」している「プロジェクト」になっているのだ。
これが、無料でつかえる理由である。

前も書いたが、わが国政府は政府が公開する各種資料に「著作権」をつける国だ。
この「成果物」の原資は、税金である。
すなわち、商用の「著作物」ではないばかりか、政府著作物は「国民資産」であるという感覚すらない。

アメリカ合衆国は、機密文書の公開には別のルールがあるが、一般公開の対象となる政府著作物に「著作権」をつける、という習慣が「ない」のは、「国民資産」であるとはっきり認識しているからである。
つまり、国民資産なのだから「コピー・フリー」なのだ。むしろ、どんどんコピーして国民のみなさんは「識ってください」という態度だ。

「資本と資産」を記述する複式簿記の概念は、資本主義発達の前提である。
株主の所有物である「資本」をつかって、いかにこれを「増やすか」を委託されたのが経営者たちだ。

だから、経営者が判断する会社の「お金のつかいかた」とは、株主のお金を委託された経営者が適切に「配分している」にすぎない。
「所有者は株主」で、これを委託されて「経営者が占有」しているのである。

わが国は、資本主義が「未発達」の不思議な状態のままでいるから、「所有」と「占有」の垣根があいまいで、占有者が所有者になってしまうのである。
民間でもこんな状態だから、国家権力を簒奪した役人たちは、出資者が国民であることを忘却して、なんでも自分たちのものだと思いこむのは、御成敗式目以前の中世時代の発想がいきている証拠なのだ。

日本国憲法29条には、財産権の絶対が明記されているけれども、民法162条では、20年占有した者に所有権が移転する「取得時効」があって、これの歴史的根拠が鎌倉時代の「御成敗式目」なのである。

つまり、わが国は「近代私法」が未整備の「未近代国家」あるいは「えせ近代国家」なのである。
とすればこそ、役所の著作物に「著作権」が主張されるナンセンスがはびこるのだ。

そんなわけで日本人でも何人でも世界中で、「Maxima」をつかえるのは、アメリカ合衆国が正真正銘の資本主義の国で、政府がただしき「著作権」の運用をしているからである。
これこそが、「繁栄」の根拠なのだし、わが国「衰退」の根拠でもある。

それでも、日本語でちゃんとした解説本があるから、民間を信じてよい。

おとなむけに、中学あたりからのやり直し数学の「Maxima」をつかった「授業」の本があれば、もっとうれしい。
「グラフ電卓の教科書がない」で書いたとおりである。

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