ビジネス・モデルを変えられるか?

残念ながら、会社をだれも助けてはくれない。

これが、受け入れざるをえない事実である。
もはや、政府や自治体に依存したところで、なにもしてはくれないことが明らかになってきている。
あるとすれば、「倒産」の報道に「弔辞」を述べるコメントをだすくらいでしかない。

創業時の原点にもどったのである。

すでに資金繰りがひっ迫しているかもしれない。
倒産を防ぐには、資金調達に奔走するしかないから、このばあいは「余計なこと」に聞こえるかもしれない。

しかし、めったにない社会からの「突き放し」が起きたのだから、「収束後」の社会ニーズについて、深いところからかんがえることが、もっとも重要なのである。
つまり、これからどんな社会になるのか?ということの「予測」をしないといけないのである。

もちろん、「予測」だから、当たるともはずれるとも、だれにもわからない。
このことも、「原点のうち」なのだ。
そして、「最悪」を想定することも必要なので、いくつかのシナリオを「予測」しないといけない。

すると、「最善」とはなにか?
それは、ウィルス禍がはじまる「前の状態」に戻ることだ。
もっといえば、ウィルス禍がはじまる前の状態よりもよくなる、ということではない。これは、「最善」ではなくて、「希望」にすぎない。

なぜなら、経済活動全体が二ヶ月(一年の6分の1にあたる)も停止するという、前代未聞が発生したのだから、前の状態に戻ることすら、かなり困難だと予測できるからである。
ビデオゲームなら、保存した場面からの再スタートは可能だが、リアル社会はそうはいかない。

1980年の大ベストセラーだった、ミルトン・フリードマン夫妻の『選択の自由』には、『えんぴつの話』が長文引用されている。
だれでも手にしたことがある、「えんぴつ」が、どうやってつくられているかを知るものはだれもいない、という、「虚」をつくはなしだ。

読めばそれが「虚」ではなく、「実」であることに気づく。
21世のIT社会になっても、だれにもえんぴつがどうやってつくられているかを知るものはいないことに変わりはない。

これは、オーストリア(ウィーン)学派を代表する、ミーゼスの主張をわかりやすくしたもので、正確にいえばフリードマンは「新自由主義」ではけっしてなく、むしろ「自由放任主義」に重心がある。

日本には、「新自由主義」の本筋がどういうものかをしらずに批判しているひとがおおすぎるので、ほんとうは1000ページの大著だが、ミーゼス渾身の『ヒューマンアクション』を読むとよい。

かいつまんでいえば、「経済の複雑にからみあった実態」はだれにもわからないということなのだ。
だから、政府という、経済活動の外部に存在するものが、経済活動に「介入」しても、うまくいくためしがないのである。

政府が経済政策として介入して、あたかも成功したようにみえるのは、「そうみえる」だけなのである。
なぜなら、政府が介入しなくてもうまく行っているなら、政府の介入が足を引っぱるものでも、見かけ上うまく行くことがあるからである。

政府の積極的な財政支出による介入を主張する、ケインズ理論とて、ケインズ自身が、「不況のときだけに限定する」というのに、政府はいつ何時でも介入することで、経済を「歪める役割」しかしなくなったのは、政府の都合にある「継続性」がそうさせるからである。

このことを誤解して、官僚の「無謬性(ぜったいに間違えない)」まで「昇華」してしまったのが、わが国の「経済官僚」依存である。
終戦後の「傾斜生産方式」がさんざん褒められてきたが、昨今の研究では、「かえって成長の足を引っぱった」ともいわれだしている。

そんなわけで、わが国だけでなく、世界中で発生した厄災であるから、世界史的視点でこの厄災の後始末をかんがえないとまちがえることになるのは必定だ。

そして、それが「えんぴつの話」のように、どう自社に関連するのかがわからないけど、かんがんえなければならないのは「経営者」だからである。
ふだんできない、自社とはなにか?まで追求するときがきたということだ。

それが、創業時の原点にもどったという意味なのだ。

すると、本来、企業と雇用契約を結んでいる労働者の立場からすれば、経営者と同様に「自分の労働力」のことをかんがえないとまちがえることになる。
このときの「まいちがえ」とは、年収どころか人生にもなる。

欧米の厳しいシステムは、「失業」という事態がやってきて、嫌がおうにも労働者がじぶんで「なんとかせねば」をかんがえないと生きていけない。
それが、とうとう、わが国にも及ぶという事態になったのである。

そして、このことこそが「グローバル化」の本質なのだ。

これから、鬱を発症するおとなたちが増加することも予測できるのは、過去の危機であったことだからで、その反省もないままに問題を放置してきた。

中学生なら、噛んで含めれば理解できるかもしれない。
社会に出るまでの、残りの準備期間(10年もない)に、なにを習得しておくかを、おとなが反省をこめて教えるときでもある。

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