ハンガリーの総選挙は、事前に与党の勝利は確実視されてはいたものの、199議席(1院制)のうち、135議席という3分の2以上を勝ち取る「完勝」であった。
わが国でいう、「絶対安定多数」だ。
また、わが国と似ている点として、ハンガリーも野党が6もあることだ。
しかも、どこも「弱小」なのである。
やや異なるのは、今回初めて、極右政党の「我々の祖国(ミ・ハザ-ンク・モズガロム)」が7議席をとったことだ。
わが国には、現在まで与党より「右の政党」は存在しないので、もしも夏の参議院選挙で「参政党」という保守新党が議席をとれば、ハンガリーに追随することにもなる。
この両国は、似て非なる環境にはある。
内陸にあって海がないハンガリーと、島国の日本とは立地からしてぜんぜんちがうが、「帝国」だった、ということでは一致する。
ただし、直近の歴史では、社会主義国家「だった」ハンガリーと、社会主義国家を「追及」しているわが国とのちがいは歴然なのである。
なので、今般の選挙でも大勝利した「与党」とは、かつての社会主義に、明確に「反対」する政党であることに注意がいる。
経験者が知る「社会主義」とは、「全体主義」のことなので、ハンガリー国民はこれに断固拒否する、ということが圧倒的な支持の根拠であろう。
よって、国境を接するかつての同盟国ウクライナに対して、「冷ややか」なのがハンガリーなのである。
その「冷ややかさ」には、ちゃんと「根拠」があって、決して「なんとなく」ではない。
その根拠として、オルバン首相は「ナチス支配のウクライナ」と、はっきり発言しているのである。
また、同じ勝利宣言で、「われわれの勝利は、ヨーロッパ共通の未来につながる」とも言っているのは、ウクライナ=ナチスを支援するヨーロッパ(EU)への皮肉である。
さてそのウクライナは、ブチャ市で、市民が多数殺戮されていることが判明した。
ロシア軍撤退後のことなので、すぐさま「ロシア軍の仕業」だと、反ロシア連合と化した国連も、根拠を明示せずに決めつけている。
これを受けて、安保理を緊急開催するようにロシアが要求したけれど、なんといまの議長国、イギリスがこれを、「拒否」した。
なんでやねん?
という疑問が、世界中の良識あるひとたちから湧き起こって、元アメリカ海兵隊のスコット・リッター氏がツイッターに投稿した記事が削除されたあとに復活したことを、7日付け『Newsweek』が記事にしている。
リッター氏は、元国連大量兵器検査官、でもあった人物だ。
それで、彼がつぶやいたのは、ブチャ事件の犯人は、ウクライナ国家警察だとあっさり指摘したのである。
街を占拠したロシア軍に「協力した市民」を撃った、と。
じつは、ロシア軍は市民への食糧援助をしたから、これを支給するための手伝いが市民によって行われたのだ。
日本における災害時に、住民組織の「消防団」や、「町内会・自治会」がすることとおなじだ。
ウクライナにはいまでも、「国家保安庁」という役所がある。
これはかつての「KGB(カーゲーベー)」の名残で、「SBU(エズベーウー)」を指す。
プーチン氏は、KGBの職員だったので、「SBU」をしらないはずはない。
国際スパイ組織としてだけでなく、国民を監視し、「不純分子」を社会から「排除」することで、全体主義遂行に重要な機能としてあり、同時に、国民を恐怖によって支配するための統治機構として、秘密警察はきわめて重要ではなくて、こうした政府には「必要」なのだ。
すると、イギリスが議長国としてやったことは、ロシアの言い分を封殺するだけでなく、アリバイづくりのための時間稼ぎか、あるいは、世界からこの話題を忘れさせるための手段なのか?
だから、リッター氏の指摘は、世界に大きな波紋となって、問題を顕在化させたのだ。
なお、衛星からの映像が詳細になっている現代に、ブチャ市の遺体という写真が公開されたのは、やっぱりロシア軍撤退後のことだから、あるはずの「リアルタイム」のものが、「ないのが不思議」なのである。
日本のテレビ局や、フリー・ジャーナリストが、現地入りして、現地住民たちにインタビューしているようだが、ぜんぜん信用できない。
なぜなら、SBUの報復を怖れたひとたちが、「真実」を語るはずがないからである。
しかも、ウクライナ(SBU)側は、地雷があるとの理由で、ブチャ市への外国人ジャーナリストの行動を制限し、「取材許可」を得たひとたちは、全員をおなじバスに乗せて、ブチャ市へ入れている。
クライシス・アクターたちの「準備」ができたからバスを出した、と穿った見方もできるのだ。
ならば、ハンガリーに飛んで、自由に発言できる「隣国市民の声」を取材した方が、よほど信用できるのにこれを、「しない」のだ。
東西の壁が壊れだしたとき、決定的となったのは、1989年夏、「ヨーロッパ・ピクニック」を計画・実行したハンガリーのおかげだった。
東欧からの亡命者たちは、ハンガリーからオーストリアに、「ピクニックをしながら」逃げたのである。
これを企図した「実行犯」こそが、オーストリア=ハンガリー二重帝国(旧「神聖ローマ帝国」)の最後の「皇太子」だった、オットー・フォン・ハプスブルク氏だ。
ハンガリーは、こうした意味で「親ロシア」でもない。
彼らは、ヨーロッパ人としての「矜持」をもったひとたちなのである。
もう貪欲さを隠そうともしなくなったグローバリスト(英・米民主党・EU官僚)が、ロシアを勝手に分割しようとしている。
だから、勝利宣言で、「(EU本部がある)ブリュッセルも我々の圧倒的勝利を見ないわけにはいかない」と皮肉ったのだ。
日本人が忘れてしまったものである。
けれども、愚かなことに、「丸腰」でロシアを敵に回す自民党に政権運営をさせてはいけない。
ロシアの前に、わが国が分割される危険が迫っている。