レバノン化するニッポン

中東のレバノンというのは地中海に面した「国」を指す。
首都は同国最大の港湾都市ベイルートである。
この港で、市の半分が被害を被る大爆発がおきた。

むかしは「中近東」と別けていたけど、最近では範囲の広い「中東」が便利な表現になっている。
京都を中心にした中央集権国家としての歴史がながいわが国では、都からの距離で国名(近江とか遠江、上・下、前・後)をつけたのと同様に、ヨーロッパとくにイギリスからの遠近で地域名をつけたものだ。

イギリスからみた地理の概念として、インドが「東」だったので、インドよりも近い東との中間を、「中近東」といって、それよりもインドに近くなる中間を、「中東」といって区別した。

日本人には、どちらも遠いので、「近」がとれて「中東」ですませることがおおくなった。
これは、あいかわらずこの地域の「石油」にしか主たる興味がないからであって、中東と中近東を区別する気概も失ったのである。

もっとも、その原因にもなるのは中東戦争以来の複雑さで、その中東戦争の原因だって、複雑なのである。
複雑なことをかんがえると気分が悪くなるひとが増えて、単純化された情報こそに居心地のよさがあるのを「大衆」と呼ぶので、わが国は世界に冠たる「大衆社会」である。

その「大衆」からの人気を得ないと、どんな職業でも成功できない。
そんなわけで、「大衆」による「大衆化」が極大にまで膨張し最後は自己崩壊する物理特性を大衆社会は内包している。
これが、民主主義の暴走となって小数派への弾圧になるのである。

しかし、オルテガがいう批判すべき大衆とは、大衆のなかの大衆すなわち、専門家を指すのであった。
大衆に真っ先に迎合するのが、大衆である専門家だから、これが膨張のエンジンであり、燃料にもなっている。

大衆となった専門家と、本来の専門家を見抜くためのリトマス紙とは、「わからないことをわからないという」ことである。
大衆となった専門家は、わからないことをわからないとはいわない。
本来の専門家は、わからないことをわからないというのだ。

わが国には、中東の専門家が数々いるけど、被災者には申し訳ないが、どうなっているのかを観察できるチャンスが、このたびの「ベイルート大爆発」である。
つまり、わからないことをわからないとはいわないか、わからないことをわからないというか?

中東戦争の当事国ではなかったのに、人口の少ない小国だったレバノンは、国防力も乏しく、周辺の当事国から大量の「難民」がなだれ込むのを阻止することができなかった。
当然に、難民の中に紛れ込んだ、当事国になりたくないレバノンにとっての危険人物たちもいた。

世界の三大宗教の聖地があるイスラエルと隣接するレバノンも、「宗派のるつぼ」だった。国内には18もの宗派がある。
そこで、人口で最大のキリスト教マロン派(東方カトリック)とイスラム教とで知恵をだし、大統領と首相を交互に選出する方法をあみだした。

ちなみに、元日産自動車のカルロス・ゴーン被告は、キリスト教マロン派だという。

しかし、中東戦争の影響で、上に書いたバランスが狂ってしまったゆえの長期にわたる内戦で、いまは「ヒズボラ」というテロ組織が政権を担っている。ただし、意外にも普通選挙はおこなわれている。
彼らはイスラム教シーア派だ。

これには、事情があって、キリスト教徒よりもイスラム教徒の方が「多産」だということがある。
平和が破られて半世紀も経ったので、人口構成がかわってしまった。

シーア派といえばイランである。
しかして、ヒズボラ支配の実態とは、イランの支配のことを意味する。
そのイランは、イスラエルとは犬猿の仲のはずだけど、「敵の敵は味方」という論理が働いて、「それはそれ、これはこれ」がまかり通る。

こうして話が、どんどん複雑になっていくのである。

レバノン国内に話を絞れば、中央政府(ヒズボラ:シーア派)の意向を無視した残り17の宗派が、別々の動きをはじめるという「運動」がある。港湾に備蓄されていた小麦等の食料が、この爆発で雲散霧消してしまったことが、いきなり「食料危機」になったのだ。

大爆発の原因追及よりも、さぁどうなるレバノン?ということになっている。

話をわが国にもどすと、中央政府と地方政府の一部が、ぜんぜんちがうことをいいだして、なにがなんだかわからなくなっているのは、ご承知のとおり「コロナ対策」の分裂である。

中央は「Go To」で旅行に行けといい、地方の一部は「自粛せよ」といっている。この一部とは、東京・大阪・愛知といった大都市圏の(宗派を異にする)知事たちなのだ。
武器を使わないけどまるで、レバノン内戦の様相なのである。

いまからすれば、中央の内閣と総理大臣の権限を地方政府、なかんずく知事へ大幅に譲る、「緊急事態宣言」がわが国における「大爆発」だったのである。
『特別措置法』に従って権限を返上すべきなのに、これをしないのは、知事は「直接選挙で選ばれた」ことの「民主主義」があるからである。

これは、「民主主義の暴走」である。
そしてこうなったのは、この膨張運動の担い手が、政治の専門家であるという「大衆」が知事をやっているからである。
大衆は、わからないことをわからないとはいわないのである。

もちろん、「緊急事態宣言」をだした、中央の政治家も、企画した中央のエリート役人も、みんな「大衆」なのである。
だから、「民主主義の暴走」を予想しなかったばかりか、できなかったのだ。

地方は中央に従うだけの存在だと、これら大衆が決めつけて、大衆の知事たちが反逆を開始したのである。

この分裂は、もう誰にも止められない。
だから、もう止まらない。
わが国は、急速に分裂し、レバノン化するしかない事態となった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください