ローマ教皇の「祈り」

今月4日、バチカンでローマ教皇がウクライナ国旗を掲げて、祈りをささげた。
ブチャ事件を受けてのことである、と解説された。

由々しきことが起きたのだけど、日本メディアのウクライナ応援態勢を支える報道になったのは、まちがいない。
もちろん、わが国にはわずかなカソリックしかいないから、別段、ローマ教皇の話が「直接」日本人の心の琴線に触れることはない。

けれども、「権威」とも「世界的有名人」だらかともいえる、「教皇」のニュースは、信者としてではなくて、「えらいひとが言った」というだけで影響力を発揮するのである。

もちろん、このローマ教皇の祈りは、誰に対してのものなのか?をいえば、第一義的にはウクライナの犠牲者のため、になるのは当然だ。
ならば、きっとカソリック信者の犠牲者を指すのだろう。

しかし、ブチャのあたりは、ユダヤ人が多いのである。

ユダヤ人の定義は、「ユダヤ教を信仰するひと」なので、人種は問わない。
なぜにユダヤ人が多いのか?は、ウクライナの歴史をたどれば明確で、概ね支配地の宗教には「寛容」だった、モンゴル帝国が、唯一厳しかったのがキリスト教だった。

そこで、「国ごとユダヤ教に改宗した」ことの名残なのである。
このときの国とは、「ハザール王国」のことだ。

ここで、いわゆる「バビロン捕囚」で世界に広まった、『旧約聖書』の「民」であるユダヤ人とは、別系統のユダヤ人(教徒)ができた。
もちろん、このころの「キリスト教」も、ローマ帝国といっしょに東西に分裂していた。

西ローマ帝国の滅亡は、国教だった「ローマ教会」にとっては、最大の危機だったけど、国家の庇護を失った不幸が幸いして、独立した「教会組織」の構築に成功した。
それが、教皇をトップに置く、「ヒエラルヒー構造」だ。

「小さな政府」をモットーとする「自由主義」による統治機構の、発想の原点になっているのが、この「ローマ教会の生き残り戦略」なのである。
すなわち、その条件である、国家の庇護をなくす、ことの意義である。

この「論」には、ちゃんと「反面教師」があって、それが、東ローマ帝国とその強力な庇護下にあった「東方教会=正教」だ。
もちろん、東ローマ帝国は、分裂後さっさと崩壊・滅亡した西ローマ帝国よりも、ずっと長生きした。

独立独歩を余儀なくされたローマ教会に対して、この贅沢な国家による庇護の結果は、教会ごとに独立する、という「カタチ」にあらわれた。
すなわち、「激しく分派」して、本家本流がわからなくなったけど、国からの支援で、どこもかしこも生き残ったのであった。

それの典型を、面倒だから大雑把に、「ギリシャ正教」と「ロシア正教」といったり、「東方教会」とまとめてバッサリと呼んでいる。

ローマ帝国が東西に分裂したのは、教会の分裂でもあったので、いまだにローマカソリックと東方教会の仲は「よくない」状態で、ローマ教皇はほとんど東方教会を無視しているし、イスラムによる「ビザンチン陥落」で、ローマ教会に救援を支援しても、一切の支援がなかったこともあってか、東方教会は東方教会で、ローマ教会を逆恨みしているのである。

そんな事情からしたら、ローマ教皇が、ユダヤ教徒がたくさんいるはずのひとたちに向かって、さらに御自ら国旗を掲げて祈りをささげたことは、強烈な「政治的」メッセージに見えるのである。

教皇にこんなことをやらせたのは、誰がどんな「喜捨」をしたのか?とかんがえたくなる。

きれい事でできている「宗教団体」も、霞を食って生きているのではないから、「ご寄進」はありがたく頂戴するものである。
その額がおおいほど、「功徳もおおい」ということで、「利用」をかんがえるひとがいるのも、古今東西の歴史なのだ。

だから、宗教の価値が下がった現代でも、それを利用しようするひとがいたって、ぜんぜんおかしくない。

もちろん、戦争には、当事者双方で犠牲者がでるから、宗教としての普遍性をいうなら、「双方の犠牲者に祈りをささげる」のならわかる。
しかし、これを「しない」のは、どういう了見からか?と疑うのである。

つまり、そんな祈りの後に、「戦をやめなさい」と説教するのが、教皇としての「本筋」だといいたいのである。

紙の護摩札を「印刷」して、これを信者に強制的に売りつけて、自分たちは貴族以上の贅沢な暮らしをしていたことが、ルターの宗教改革になったのだった。

これから、ローマカソリックの凋落がはじまったのに、ローマ教皇がやったことは、その反省が微塵もない。

プーチン氏は、敬虔なるロシア正教徒を自称している。
つぎの闘いのステージは、1000年を超える西方教会と東方教会の、正統性を争うことになるかもしれない。

これを、ユダヤ人とイスラム教徒が「傍聴」することになるのだろう。

わが国は、ぜんぜんちがう立場で、不毛な争いはやめないさい、というべきだけど、そんな「宗教家」もいなくなってしまったのである。

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