一向に進まない「あなただけ」

自動販売機にできて、人間ができない不思議。
「コンピュータリゼーション」が、進んでいないからだ。

しかし、コンピュータがつかえればいいというわけでもない。
最大の問題は、「どうしたいのか?」という「自問」をもっているのかということにいきつくのだ。
この「問い」がなければ、かんがえることもない。

すなわち、過去からのやり方を、ただ継続するだけということが、それも「汲々として」おこなわれている。
つまり、いつの間にかできない原因が「汲々としている」ことになってしまって、結果と原因の悪循環になっているのである。

すると、まず気がつくのは、「どうしたいのか?」をかんがえるときにつかうのは「紙」であることだ。
なにも、この段階から電子機器をつかわなくてもよいのは、別段それで決定的なちがいになるわけではないからだ。

ようは、思考の試行錯誤をして、結果としてまとまればよい。

接客業の重大ポイントは、「あなただけ」になっている。
だから、ここでかんがえるのは、どうしたらあなただけが自分の事業で「できるようにするのか?」である。
いつでも、ムラなく、だれにでも、できるようにするのか?

このときの「だれにでも」とは、対象となるお客様でもあるし、プレイヤーである従業員でもである。
ある従業員にはできて、ある従業員にはできない、ということではいけない。

コロナ禍で、国民に10万円を配るのが「遅い」ことが問題になっている。
これは、「あなただけ」という思想ではなく、「全員に」という思想である。
ところが、政府はこれに乗じて、「あなただけ」を実行しようとたくらんでいる。

かつてない給付金の、申込方法と支払方法との両方がネックになっている。
申込用紙を印刷して郵送し、記入後の返送を受けてから、希望口座へ振り込む、という作業の全工程で「手間がかかる」ようになっているからである。

戸籍がないアメリカで迅速にできたのは、住民登録があるひとたちに、政府振り出しの小切手を直接送付したからである。
一発の作業ですませているのだ。

ところが、わが国では、「マイナンバー」に登録しているひとも小数で、なおかつ、マイナンバー登録者のうち「電子証明」までできるように手続きしているひとは、もっとすくない。
さらに、今回の「申請」において、「電子証明」ができるひとでも、最新のスマホがないと、マイナンバーカードの電子証明を読みとることができない。

よって、ふるいが何回もあって、電子証明機能さえ「機種依存」というふるいがあるのだ。

ところが、おもしろいことを政府が言いだした。
「マイナンバーカード」に、「銀行口座番号」を紐付けることを「義務化」する、というのだ。
こうすれば、迅速な給付ができる、と。

今後、いつまた、全国民を対象に「特別給付」が行われるのか?
人生で一回あるかないかしらないが、そんなことに「便利だから」という理由は、ナンセンスのきわみだ。

つまり、国民の銀行口座を政府がしりたい、という欲望をむき出しにしている「だけ」なのだ。
これを、国民から選挙で選ばれたはずの、国会議員が「大臣」になると、国民の立場からではなく、行政当局の代弁者に変貌する。

国会議員で大臣を拝命するようなひとは、二重人格でないと職務をまっとうできないということになっている。
われわれは、「サイコ」は誰か?を選ばされているのだ。

そんなわけで、「あなただけ」ということも、一歩まちがうと変なことになる。
あくまでも、「顧客」としての「あなただけ」の追求のことなのだ。

店舗ごとの「ポイントカード」が流行っていたが、客に持たせて財布をえらく厚くするのはいかがなものか?
なるべくポイントカードはもらわないことにしているけど、なんだか「特典」を得るチャンスの放棄にもなって、「損」した気分になる。

だから、ふくらんだ財布を持ち歩くことと、メリットの比較をするのである。
この、ふくらんだ財布を持ち歩くときの「不快感」が、顧客にとっての「コスト」で、メリットが「利益」だから、その差が「持つか持たないか」の分岐点になるのである。

けれども、このやり方だって決して「あなただけ」の追求ではない。
単なる「ポイント付与」とか、「ポイント消費」をおこなうだけだからだ。
あなただけの「好み」とか、あなただけの「サービス」が、他のひとにはわからないままに実行してほしい。

そのための「手段」として、どんな方法を使うのか?

それをかんがえるのが、重要な価値を生むことになるだろう。

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