七福神めぐりという観光

お正月の風物詩である「七福神めぐり」は、各地に「コース」が用意されている。
一日で回れるものから、そうはいかないもの、歴史のあるものからあたらしいもの、交通機関を要するものと徒歩ですむものなどと、さまざまなパターンがある。

さいきんは「御朱印帳」を持参するひともいるし、公式の「色紙」を手にめぐるひともいる。
御朱印にはだいたい300円ほどの「初穂料」や「志し」が必要なので、満願には2,100円が必要だ。もちろん、御朱印帳や色紙は別料金だ。
これに、宝船や七福神を一体ごとにあつめてまわることもすると、なかなかのお値段になる。

ただし、ゴム印スタンプなら、無料である。
それで、正規の「色紙」にスタンプを押しているひとをみかけたが、本人はそれでよいのだろうかともおもった。
まぁ、それも「あり」なのだろう。

関東では、冬型の気候になるから、お正月はだいたい晴れる。
適度な距離の七福神めぐりは、都会のなかのハイキングにもなるし、目的地のあるウオーキングでもある。
はじめてのコースなら、地図を片手にあるくから、ついでに頭の体操にもなる。

人気なのは、徒歩で半日程度で一巡できるコースだという。
場所によっては、町内会が用意するのか「道順」の矢印が、まちのところどころにあって、迷わないようになっている。
住人が、道を聞かれて面倒になったのかもしれない。

とにかく満願しようと、躍起になるひともいるだろうが、せっかくのことだから、街の様子やお店をみてあるくと、あんがい時間がかかる。
お昼はどこで食べようか?
こんなところに、こんなお店を発見!

余裕があると、ふだんしらない街の表情もかわってみえる。
それがまた魅力なのだ。
とちゅうで見つけた和菓子屋さんの店先で、熱いお茶と甘いお菓子をいただきながらの一服は、なかなか贅沢な時間であるから、ちゃんと「福」をいただいている。

それにしても、地域の神社やお寺に分散して祀られている「七福神」とは、なんとも日本的混合の世界である。
本殿や拝殿に鎮座ましますこともあれば、境内に別っして祀られていることもある。
この「差」はなにか?

「暗黙知」をもってよしとするのか、くわしい説明がないことがおおい。
それが宗教というものかもしれないが、「いわれ」は重要である。

そうおもうと、チラホラと外国人のすがたがあるものの、外国語表記の案内をみたことがない。
これは、以前にも書いた、奈良や京都の大寺院もおなじだ。

参拝マナーがまもれないような一部の外国人に、正月から不愉快にされるのはごめんだが、日本の「文化」ということでいえば、七福神めぐりは、街中を「めぐる」ということ自体でも立派な観光である。

しかし,「説明」がむずかしい。
日本人でもわからない「暗黙知」を強調されると、外国人には「ミラクル」であることすら伝わらないだろう。
すると、わたしたち自身も、「わかったつもり」で生きていることがわかる。

「観光戦略」というならば、それは、相手に好きになってもらう、ことである.
珍しいとか、神秘的とかとはちがう、もっと心にしみるための援助だ。
だから、日本人向けとか外国人向けというのは,筋違いである。
なに人であろうが、これはなにか?を、どうやって説明するのかが問われるからだ。

観て感じろ、というわけにはいかないのである。
かくかくしかじかをしったうえで、観て感じることと、しらずに放置されて観て感じることはおのずと異なる。

味覚すらかわってしまう。
かくかくしかじかをしったうえで食べるのと、しらずに放置されて食べるのとでは、味さえもかえてしまうだろう。

人間は、脳でたべているからだ。
脳が味を解釈するということだ。
うんちくの有無が、評価をかえるのである。

なんだこの絵は?
じぶんにもかんたんに描けそうだ、とおもう。
しかし、そこに「ピカソ作」の文字を見つけたら、なにをおもうのか?
ただ苦笑いするしかないだろう。

七福神は、宗教的なものだからそこには、はかりしれない「神秘」があっていい。
しかし、それだけ?でいいのかとかんがえるのは、むだではない。
人間の脳がかんがえだしたもの、でもある。

観光にする、のもけっして簡単ではないのである。

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