与党は「予備選挙」をしていない

なんでも「アメリカナイズ」されるのはいいことではないけれど、外国から輸入せずにはおけなかった「民主主義」という「制度」では、その「本家」の真似をするのは「理」にかなっている。

戦前に民主主義はなかったという「主張」が、なんとなく通っているけど、なにかの話題で「大正デモクラシー」が出てくると、「いかがわしい」とか「ニセモノ」とかのイメージが先行するのも、「洗脳」の効果なのである。

ならば、「戦後」アメリカが直接教えてくれた「はず」の民主主義なのに、どうして政党は「予備選挙」をしないのか?ということをあんまりいわない。

むしろこれは、「党員」という組織構成員の存在理由にまでなってしまう、重大な欠陥なのである。
逆にいえば、予備選挙をしないで公認候補を決める政党は、党員の意見を聴く場がない、ということだから、なぜに党員になるのかが不明となる。

そこを誤魔化している典型例が、自由民主党の党員に与えられた、「総裁選挙」への「選挙権」なのだ。
公式HPには、以下の記述がある。

「入党すると、あなたも自民党総裁選で投票することができます。
総裁選挙の前2年継続して党費を納めた党員の方は、総裁選挙の有権者になります。」

党員として「他にできること」の記載がない。

よくわからないのが、「党費を納めた党員」とあって、「党費」については、

「一般党員 年額4,000円、家族党員 年額2,000円、特別党員 年額20,000円以上」

としか記述がない。
すると、「党費を納めた党員」とわざわざ書くことの意味が、「党費を納めない党員」がいると白状しているようにも読める。

たしかにわたしも知人に頼まれて、「名簿」に署名したことがあって、それだけで「党員」になったようなのである。
「ようなの」は、党費を負担するのは立候補予定がある政治家が、「党費を負担する」からであった。

どうやら、どんな方法でも「新規入党者」を多数獲得したら、それが立候補するにあたっての「業績」になるらしいのである。
なので、政治家が「自腹」で党費を払って、あたかも「署名活動」のようにして、誰でもいいから党員を集めたことにする。

それで、署名をした側は、党員になった「ようなの」だけれど、それっきり「何もない」という、「ようなの」である。
つまり、「党員になった」はずなのに、党からパンフレットの一枚も送られてこないし、選挙のための電話すらない。

これはこれで、「個人情報保護」に合致しているのだけれども、形式主義がここまでだと、この活動の生産性は皆無である。
むしろそのバカバカしさを、一般人に啓発するようなものだから、政党活動としてはマイナスにならないか?

それでもって、入党には条件を課している。

「お申込みには、紹介党員が必要です。お知り合いに党員がいない場合、ご地元の支部にご相談ください。」

紹介者がいないといけない、という理由がまた不明だけど、いなければ地元の支部に聴けという。
これも、穿った見方をすれば、「党費を払って」くれるような殊勝なひとなんていないからだと思えば、「もったいぶり」も理解できる。

しかも、唯一の権利たる「総裁選挙」だって、その都度ルールが変わるので、「一票の価値」すら「党員本人」にはわからないのだ。
もちろん、総裁選挙のルールについて党員が意見をいう場はない。

こんな組織のどこが「民主主義」なのか?
アメリカ人は、どんな立場からこれを「戦後・民主主義」といったのか?

政権を担ってきた自民党でさえ「これ」だから、野党はこの都合がいい仕組みをそっくりそのまま「コピー」しても、国民から批判される筋合いはない。
責任を自民党に転嫁できるからである。

そんなわけで、わが国の政党で、党員が「民主的」に、党運営にかかわるような仕組みになっている政党が皆無のままでやってきたのである。
しかしながら、アメリカの選挙制度についてわかってきたら、「予備選挙」のあたりまえに、ようやく日本人も気づきはじめた。

たとえば、RINO(Republican in name only:名ばかりの共和党員)として、「地元の党組織」から「拒否」されたのが、元副大統領の娘である、リズ・チェイニー連邦下院議員(ワイオミング州)だ。

とはいえ、彼女は空前の選挙資金を集めていて、「除名」されても8月に行われる予備選挙に出馬することを表明している。
共和党も民主党も、「党員以外」の人物ですら予備選挙に立候補できて、党員候補と「ガチ」で闘う。

この「敷居の低さ」が、「本家」のやり方なのである。

なぜならば、投票するのが党員だからで、もしも党員以外の候補が予備選挙を制したら、それはもう「正規の候補者」として本戦に臨むことをだれも拒否できないばかりか、党組織をあげて当選を目指す。

もっとも、州によってはもっと敷居が低くて、民主党員が共和党予備選挙に投票できる「ローカル・ルール」を定めた地域もある。
なんだかよくわからないけど。

できるだけ、「適材」を発掘することを優先させるのが「前提とする建前」なのである。
なかなかに、「進化論」的なのである。

これが、わが国に全くない。
むしろ、「進化を止めて」環境適合を拒否しながら、集団で絶滅してしまうことを望んでいるのか?ともおもえる。

「リスク」に対する、「勇気のなさ」なのである。
アメリカ人は、リスクをコントールしようと努力する。
日本人は、とにかくリスクを回避する。

じつはリスクは利益の源泉だから、リスクを回避することは、みすみす利益を失うことなのである。

それがまた、失われた30年の原因にもなっている。

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