人気のアイドリングストップキャンセル

交差点での信号待ちで、エンジンを自動的に停止させるのが、アイドリングストップ機能だ。

これが、ムダな燃料消費を抑止するので、「エコ」だという。
この場合の「エコ」とは、エコノミーだけでなく、地球環境にやさしいという意味での、エコロジーのことも同時に指すにちがいない。

義務教育における「洗脳」を、戦前の教育にはあてはめて批判するけど、戦後のことはいわないから、事実と政治思想(うそ)が混じっていても、誰もいわなくなった。

つまり、地球は人間のために痛んでいるから、そんな人間をこらしめなくてはいけないし、そうならないように自己制御することが、「道徳」だと教えている。

これは、どうしたことか欧米のキリスト教批判からきた、伝統から離れる「モダン」に対する「ポスト・モダン」とした思想ではあるけれど、実態はたんなる「左翼思想=共産主義・全体主義」の言い換えにすぎない。

つまり、ここでいう「伝統」を「個人主義」とすれば、「ポスト・モダン」とは、「利他主義」のことにもなる。
共産主義が利他主義を「善」とするのは、全体主義ゆえの「個人の否定」にほかならない。

この「利他主義」こそ、騙しのトリックつまり、手品のタネなのである。
「他人のため」という「自己犠牲の精神」は、なんだか美しい。
しかし、「自分かわいさ」ゆえに、他人も「自分同様」とする「個人主義」がややこしいので、騙されるのである。

「自分かわいさ」だけで、「他人はどうでもいい」という、「わがまま」を個人主義だと威張られて反論できない弱さがあるからである。
そんなやつには、ズバリ「ひとでなし」といってやればいいのだ。
しかも、そんなやつほど「利他主義」を口にするものだ。

みんなのためだからマスクをしなさい、とか、みんなのためだからワクチンを接種しなさいという「善意」の押しつけ(強制)は、共産主義・全体主義の「善」なのである。
だから、みんなのためだから、資本家の資産は没収していい。

没収した資産は「みんなのもの」だけど、みんなに分ける方法を決めるのは「党」であって、「党」はごくわずかな「指導者」に従う。

それでこの指導者に媚びを売らないと、自分の命の保証もないから、手が痛くなるまで称える拍手してもどうでもいいことだし、それをみなでやっていることの安心感が得られるのは、だんだんと個人の幸せにつながると思えるようにされているのだ。

ゆえに、指導者はたえず「集団心理」のコントロールに気を遣って、たえず自身や党に憎しみの矛先がこないように、外部に「敵」を作りつづけるのである。

この対象に、ぴったりなのが「地球環境保護」というキーワードで、外部の敵(外国)を自虐的に衰弱させることを思いついた。
そうやってできた、「反日政策」の究極工作が、『京都議定書』だった。

自分たちを「蚊帳の外」にして、まんまと日本だけが貧乏くじを引かされたのに、あろうことか日本人はそれを悦んだのである。

米・欧・露・中の国連常任理事国は、二度目の「大勝利」に酔ったはずだが、大酩酊していたのは、「負け戦」を引きずる日・独の2ヵ国だったわけである。
昨今のエネルギー資源不足から、ドイツはひどい二日酔いに気づいたけれど、日本はいまだに気を失っている。

幼稚園から小学校を通じて、「自然派=善」をたたきこまれて、中学になれば「テストに出る」ということでの強制で、そのままおとなにさせられる。
それでも、自立して生活をはじめるのに、自動車がないと暮らせない地方住まいなら、なんだかおかしい、に気づき出す。

しかしながら、人口密度から公共交通機関の発達がある「都会人」は、自家用車を必要としない生活をしているので、この「気づき」がなくて、「大票田」となっている。

それが、アイドリングストップ機能だ。

はじめのうちは、あたかも燃費に貢献しているようにみえて、地球環境によいことをしている気分ではあるけれど、モニターに表示される「効果」としての節約した燃料は、「リットル単位」にはほど遠い。

定期点検や法定点検にだせば、バッテリーの消耗が激しくて、高価なバッテリーを交換させられればまだしで、あろうことかエンジンスタターモーターが壊れたら、レッカー移動の憂き目もみる。
これが冬場の山中だったら、命に関わるのである。

そんなわけで、アイドリングストップをさせないための、キャンセル機がバカ売れしている。
エンジンを始動するたびに、いちいちキャンセルボタンを押さないで済むからである。

すると、消費者は、アイドリングストップ機能を買わされて、さらにこの機能をいつも解除する機能を買うという、二重の出費をさせられている。

もっといえば、公共交通網が薄い人口密度で成りたたない地方ほど、家族それぞれに一台が必須の自動車なのに、その燃料を運ぶためのコストも加算されるので、製油所のある沿岸部より高価な燃料を買わされている。

だから、都会より地方の方が、生活コストが「安い」にはならないで、むしろ、「高い」といえる。
これも、地方衰退の原因の一つで、その重みは大きいのではないか?

消費税とガソリン税を二重に盗られる地方イジメが、都市部重視・地方軽視の政党になった昭和のはじめの「民政党」に似てきた自民党の姿なのである。
なんだか、東京駅で撃たれた濱口雄幸と誰かが似ている。

そうなると、自民・公明政権による「悪政」が、総合的・計画的に実施されたと解釈するのが妥当だろう。

ところで、「アイドリングストップ・キャンセル機」は、「合法的」なのである。
なぜならば、「車検」における「義務」ではないからで、燃焼効率だけの「排ガス規制」がやっぱり「税」とからんで引っかかるのだ。

この引っかけ問題をつくったのは、経産省と環境省の嫌がらせなので、メーカー系のディーラーでは販売も取り付けもやってはくれない。
しかして、「エコ」なのは、バッテリーとエンジンスターターモーターを長持ちさせるからで、こうした役所の「視野狭窄」発想が、まったく「科学を無視する」点で共通している。

もはや誰の目にも明らかな、メガソーラーの環境破壊を「推進」させているのが、これらの役所で、やらせているのが自公連立政権による「悪政」のたまものなのである。

しかし、「環境派」のはずの左翼野党も無言を通しているから、気づいた国民はあらゆる方面でアイドリングストップ・キャンセル機のような「逃げ口」を探して歩いているのである。

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