人間が「犬」になった

人間とのつき合いが長い、「犬」という動物には、「豊かな感情」があるゆえに、人間と共存してきた。
犬が飼い主の感情を読み解く力は、ある意味人間の想像以上であって、人間の生体エネルギーまでもキャッチすることができるからだと「専門家」は断言している。

これはどういうことか?といえば、飼い主である人間が落ち着いてリラックスしていれば、犬もリラックスするし、人間が不安を感じれば、犬も不安になって挙動が変化することをさすのだ。

群れをつくる習性がある犬は、群れの順位を絶えず確認する行動をする。
家庭の愛玩犬(ペット)でも、家庭内の人間集団における序列と、犬自身の序列を、犬が確認行動をとってかってに決めている。

だから、なさけない人間集団なら、犬がかってに自分が「ボス」だと思い込んだり、ちゃんとしている一家なら、犬がかってに自分が「ビリ」だと思い込む。

このときの「なさけない」とか「ちゃんとしている」のを決めるのは、犬の価値観でのことだから、人間がこれを応用して「しつけ」をすることが「コツ」になるのである。

犬の脳は、思考を司る前頭葉が発達していない。
したがって、犬は「思考できない」のだが、感情は人間以上にゆたかなので、感情によって行動するというのが習性である。
これに、条件反射ができるので、これら「習性」を応用して犬をあつかうと、人間を幸せにしてくれる動物になるのである。

前頭葉が発達していないことから、犬は当然だが言語をもたないし、文字もしらない。
記憶力も、感情という習性からのものになるので、「うれしかったこと」、「嫌だったこと」は覚えるが、人間的なストーリーをもった「記憶」ではないから、トラウマのごとく断片的なのだ。

それで、行動については数分前までのことしか記憶できない。
このことをもって、犬のことを「いまを生きる動物」というのである。

あたかも、このことは重要な示唆をあたえてくれる。
感染症と人類がよぶ病気は、億年単位でつちかわれた病原菌やウィルスによるものだから、われわれ人類よりもはやくから存在するものだ。

そもそも、生物の細胞の中にあって、きわめて重要な役割をはたしている「ミトコンドリア」も、バクテリア起源といわれている。
つまり、細胞の中に「後から」進入したバクテリアが、そのまま細胞内で「共存」しているのである。

もちろん、わたしたちをつくっている細胞に、「ミトコンドリア」は不可欠で、「体重の10%」はミトコンドリアの重量である。
人間もそのほかの生物も、細胞に「ミトコンドリア」があるから、他者と共存して自分ができているとかんがえると、まったく不思議なことである。

いまさら、「コロナウィルス」とのつき合いは「長くなる」なんて、高校生が授業でならうレベルであって、何をか言わんやなのだ。

2000年代だけでも、「コロナウィルス禍」は三度もあった。
SARSは、2002年。
MERSは、2015年。
そして今回(「COVID-19」という)。

「新型」で「治療法がない」のは、みなおなじだった。
SARSもMERSも、新型コロナウィルスだったといわない「怪」がある。

SARSのときは、わが国では、東南アジアからおおくのひとが「疎開」にやってきた。
宿泊客として受け入れる側は、緊張しながら対応した記憶があって、専門家から対応策を聞き取って、社内の対策とした。

さいわい、なにも起きなくて済んだし、いまのような国家の「緊急事態」になんてなっていない。
しかも、SARSの致死率は9%で、いま(5%:5月2日厚生労働省発表の死者数/患者数で計算)よりもほぼ倍も高かった。

ちなみにMERSの致死率は36%もあったが、WHOの発表では、感染者数は世界累計で1357人このうち少なくとも486人が死亡という「少なさ」で、国内では感染者すら「ゼロ」だった。

すなわち、いま、いったいなにを慌ててやっているのか?となる。

まさに、犬のごとく、記憶力を失っているのである。
さらに、SARSを教訓とした、対策の準備がまったくなく、まさに場あたりと、欧米等の外国に無条件で「横並び」して安心するのは、どういう精神構造なのか?

「STAY HOME」とは、「都知事英語」を政府も採用しているが、「犬への命令」とおなじではないか?
「HOME」を「HOUSE」に換えれば、「まま」である。
せめて、「Let’s 」をつけたらどうかと、だれもいわなかったのは、知事に忖度したからだろう。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」をそのままに、やりっぱなし、反省も総括もなしで、ただただ、その時々に「対処するのみ」では、いまどきの企業経営すらままならぬことは、中小零細の経営者ほどしっている。

わが国の為政者の、マネジメント能力は、この程度。
いや、犬にも失礼ながら「犬になった」人間が、選挙で選ばれていて、自分が「ボス」だと主張するのは、もはや「マウント行為」そのものなのである。

犬になった人間たちから、犬のように命令されている国民は、なにものなのか?

飲食業界や宿泊業界が、業界を挙げて損害賠償請求を政府にしないで、ひたすら「餌」を待っている姿も、「無惨」なのである。

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