人間は100Wで生きている

「おしくらまんじゅう」は、「押し競饅頭」と書く。
子どものころ、寒い冬場に、校庭にでてクラスのみんなとやった経験は、だれにでもあるだろう。
しばらくすると、うそみたいに身体が温かくなったものだ。

どうして「温かくなる」のか?
意図的に満員電車状態になって、さらに、からだを誰かにこすりつける「運動」をするからだ。
じぶんの「運動」とだれかの「運動」がかさなることと、こすりつける「摩擦」の二つの要因によって「発熱」する。

こすりつける「摩擦」だけで「発熱」するのは、身近なものでは「電子レンジ」に代表される。
この機械は、マイクロ波という「電磁波」を発して、食品にふくまれる「水分子」を振動させて、分子どうしの「摩擦」で急速に温度をあげるしくみになっている。

このときの「振動」は、一秒間に24.5億回もの回数になる。
なので、その回数分、水の分子はこすられて「発熱」するから、あっという間に調理ができるのである。

ならば、人間の「熱量」とはどうなっているのか?
男女の差、年齢の差、体重の差など、いろんな条件によってちがう。
基礎代謝のカロリー数を、仕事量の単位「ジュール」に変換すると、「ワット/秒」が算出できる。

一日の必要カロリー数として、よくいわれる「中肉」の「成人男性」だと、2400Kcalになる。
1ジュールは、0.239カロリーで換算できるので、
2400Kcal÷0.239=10041KJになる。

1ジュールは、1KW/秒だから、
10041KJ÷24h÷60m÷60s=0.1162KW
Kをとるために1000倍すれば、116W。
なんと、むかしなつかしい100Wの白熱電灯とほとんどおなじなのだ。

すると、子どもだからといっても、人数があつまって「おしくらまんじゅう」をすれば、それなりのワット数になる。
それなら温かくなるわけだ。
天候によっては、集団から湯気があがるのがみえるのは、かなりおおきな電気ストーブが中心にあるのとおなじだからである。

ダイエットのためにカロリー・コントロールをするのは、さいきんは正しくないといわれている。
人間がいのちをつなぐために必要なのは、カロリー数だけで計算できず、栄養バランスがないと不健康になってしまうからだ。

しかし、それを前提にカロリー数=出力としての「ワット数」をかんがえると、人間はかなり効率がいいことがわかる。
将来、人間型のロボットが生活必需品になって、面倒なことをやってもらうことになるとして、いったいこうしたロボットをうごかすのに、どのくらいの動力がひつようなのか?

100W以下でなければ、かえってエネルギー損失になる。

このようにかんがえると、SF小説でいうロボット社会というのは、はたして実現可能性があるものか?おおいに疑問である。

むしろ、エネルギー消費効率が人間よりはるかに悪い=コストがかかる、ことを承知で、ロボットをつかうことになるから、ロボット運用以外の分野における「効率性」をたかめないと、経営がなりたたない計算になる。

けれども、人間のエネルギー源は「食糧」だから、食べ物がないと生きていけない。
つまり、食料確保こそが、根本的な命題なのだ。
そして、かならず「排泄」しなければならないので、この「処理」をおこたれば、たちまちにして不衛生な環境になり、やはり生きていけない。

これが、文明システムの基本中の基本である。

さて、さきほどの計算で、一日の必要カロリー数からえた仕事量は、10041KJだった。
つまり、一日1000万ジュールほどになる。
すると、年間では、1000万ジュール×365日=365000万ジュールだ。(36億5千万ジュール)。

ざっくりだが、子ども時代があるから、平均寿命の人生85年ではなく、割り引いて70年とすると、36億5千万ジュール×70年=25550千万ジュール(2555億ジュール)となる。

比較対象が不適切の誹りを免れないかもしれないが、広島型原爆は55兆ジュールと計算されている。
550000÷2555=215人
たった2百人あまりのひとの一生で、あの爆発に匹敵する。

これは、おどろきである。
人間が食べる「だけ」でこれほどのエネルギーをつかうのだ。
生活におけるエネルギーは、これにくわえなければならない。

「持続可能社会」といういいかたに違和感をおぼえるのは、なんだか「安易」な感じがするのは、このことだ。

はたして、食べ物をえることだけでも、当たり前のように「持続」できるものなのか?
そうかんがえると、江戸時代に鎖国できたのは「食料自給率」が100%であったからだった。

けっきょく、わが国は貿易によって利益をえないと「食べていけない」し、そのためには、関係する地域が「平和」でないといけない。

戦後、このことをわが国の保護国であるアメリカが担ってきたが、息切れをはじめている。
「生存」のために、どうすべきかがいよいよ問われる時代になったものを、「持続可能社会」とは脳天気すぎないか?

あっとおどろく「地殻変動」がはじまっている。

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