仁徳天皇稜の世界最大

陵墓というのは、偉大な功績をのこしたひとを記念して、だんだん巨大化するものだ。
その典型のひとつが、日光の東照宮だろう。
初代の東照宮から、15代の徳川慶喜になると、東京谷中霊園に墓所がある。

もちろん、一般人よりは大きくて特別な柵で囲まれているから、他のひとのお墓とはちがう。

けれども、慶喜氏は、16代宗家の徳川家達(公爵)氏の保護をうける身(新政府から「蟄居謹慎」処分だったため)となって、明治35年にようやくにして許され、公爵に任ぜられると、「徳川別家(分家)」を起こした。
新政府に逆らったことの「罪と罰」は、それだけ激烈だったということだし、存続を第一の旨とする、「宗家」としては、厄介な存在だったにちがいない。

それでもって、谷中墓地に葬られたのである。
その扱いの厄介さを示してか、なんだかわかりにくい場所にある。

さて、世界最大といえば、エジプトのピラミッドがとにかく有名だ。
3大ピラミッドのうち、クフ王の墓といわれているものが、最大になる。
四角錐の底辺は、約230m、高さは、約138m、傾斜角は、約52度。

けれども、この建造物が「墳墓」であるとは確認されていない。
ではなんなのか?についても、いまだに「謎」なのである。
一応墳墓、ということにしているだけだ。

わが国の古墳時代のピークをなすのは、仁徳天皇稜と呼ぶもので、さいきんでは、堺市大仙にあるから、地名をとって、「大仙陵古墳」と呼ぶそうな。

こちらは、面積で世界最大だ。
長さ、840m、幅、654m。
後円部の高さ、約40m。

副葬品がみつかっているので、やっぱり「墳墓」とかんがえられている。

エジプトのピラミッドは、体験的に大きさを認識できる。
ギザ台地の坂を登ったところにある、チケット売り場から見あげて、カメラを構えればその巨大さがファインダーを通じて理解できたものだ。
むかしの一眼レフの標準レンズでは、ピラミッドの全体像がわからない。

ただの、「石の壁」がそびえて見えるのである。
つまり、「△」であることもわからない。
ずっと遠方から引いた写真ばかりとなるのは、近景ではなにを撮影しているのかわからないからである。

予想はしていたけれど、仁徳天皇稜の方は、もっとわからない。
ただの小山にしかみえない。

エジプトのピラミッドと日本の古墳では、つくられた時代がぜんぜんちがう。
古いのは、だんぜんエジプトの方である。
しかし、どちらも「人手」を頼りにしたはずだ。

すると、どうやって作ったのか?という問題は、仁徳天皇稜だって負けていない。
おそるべき測量技術と、土木技術の融合なしにあり得ない。

土に埋もれていた、という点ですごいピラミッドがあるのは、奈良の「頭塔(ずとう)」だ。

こんもりとした山だから、古墳であろうと掘ってみたら、ピラミッドが出てきた。
一辺、32m、高さ、10m。
規模でいえば小ぶりだが、しっかり人造のピラミッドだった。

半分は復元したままで、半分は山に戻されて木が生い茂っている。

東大寺の記録から、造営されたのは767年とあったけど、発掘調査からその前の6世紀の古墳を壊して作ったことが判明した。
こちらは墓ではなく、石仏群を各段に配置した仏塔であった。

素人ながらに、あっさりいう、古墳を壊して作ったとはなんのことだ?
説明が説明になっていないのである。

ふつうの学者は、わからないというのを畏れる人種だから、「わからない」とか「不明」と書くのを、「自身の不明」として書かないで誤魔化すものだ。
これがようやく、「一流」になると、「わからない」といえるようになる。
すると、「わからない」がそれで認知されて、二流以下も安心して、「わからない」といいだす。

いわゆる、「定説」になるのだ。

だから、一流の学者と二流以下の学者の見分け方は、「わからない」がリトマス試験紙の役割をする。
そうやってみれば、頭塔の研究も「未完」なのであろう。

ところで、仁徳天皇稜のうえを、ドローンがしきりに飛んでいた。
こんなことは、宮内庁の許可なしにできるはずがない。
正面に廻ると、作業着を着たひとたちをみつけた。

上述した、この陵墓のサイズは、宮内庁が発表しているもの(2018年4月12日、宮内庁の三次元測量調査による修正値)と、堺市教育委員会が発表しているものの二種類がある。
上記は、宮内庁の方があたらしいので、こちらの数値を書いた。

ぜったいに仁徳天皇稜の全体像を観るには、この陵墓正面にそびえる、堺市緑化センターの巨大煙突の上が最良だとおもわれるけど、そこには行けない。
やや距離があって斜め後方に、堺市役所の高層館(市長は隣の「本館」におわす)21階が展望台になっている。

このビルは、エレベーター・コアが展望台直結にできていないから、途中階に停まる。
その10階あたりの3フロアーばかりに、「堺市教育委員会」があった。

もちろん、全国的に「無能」の象徴が教育委員会という組織だから、天皇陵を管理管轄している、宮内庁が発表しているものを書き換えることもできない。

前に、静岡県小山町が設置している、「藤原光親卿の墓」(国道138号:旧鎌倉往還)の案内表記の間違いについて書いたが、これも、およそ教育熱心とはいえない、この町の教育委員会の無能と無教養がなしたわざだった。

メールで指摘したら、おざなりな返事を1本受信しての落着だった。
それで、書き換えたかどうか確認してはいないけど。

21階のフロアーでは、堺が生んだ人物として、「さいとう・たかを」を偲ぶ、「ゴルゴ13×堺市 さいとう・たかを 劇画の世界」展を、「天空ミュージアム」としてやっていた。
主催は、「さいとう・たかを劇画の世界 堺実行委員会」とある。

この実行委員会は、堺市と、公益社団法人堺観光コンベンション協会、それに、「公益財団法人堺市文化振興財団」とあるから、役立たずの金食い虫が二つもぶら下がっていて、ひとつは教育委員会の下請け組織がしっかりからんでいる。

「世界最大」を自慢するだけして、放置していることが、現代的無法の象徴なのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください