便利なアプリは幸せか?

「実機」の価値が減ってきて、スマホやらの「エミュレータ(なんちゃって)」が実権を握りつつある。

電卓しかり、カメラしかりだと書いた。
ようは、「なんちゃって全盛」という時代になってしまったので、いちいちかさばる「実機」を必要としないことが、合理的にみえるのである。

これは、「書籍」にも及んでいるけど、電子版だけでは困ることもあって、紙版も棄てがたい。
それで、両方あるばあいには、必要に応じて両方とも購入している。

紙の書籍しかない時代からしたら、その分、高コストになっている。

しかしながら、「新聞」はまた別で、わが家では「仕方なく」紙版と電子版を契約しているけれど、わたしは「大見出し」をたまにみるだけなので、ほとんど不要だ。

ならば、なぜに契約しているのか?と問われたら、家内が記事を読んでいて、たまに参考になりそうなことを教えてくれるからである。
まぁそれも、めったにないから、ずいぶんな「ムダ」を承知で契約している。

人口密度が高い都市部は、新聞などの廃品回収に来てくれるからまだしも、地方に行けば「回収ボックス」まで自分で運ばないといけない。
新聞がこれが理由で売れなくなったとしたら、(おそらくわが家ならすぐさま解約する)新聞社が熱心なSDGsやらの「効果」なので、経営者が業界あげて狂っているとしかおもえない。

利権のために「ちり紙交換」を、事実上不採算事業に追い込んだ「失策」を、新聞社も肩入れしたときからのことである。

さてそれで、「多機能=便利」を押しつけられて、機種最高峰なるスマホは、半導体不足と円安で、20万円というレベルになってしまった。
そんなスマホをつかって電車内で、動画鑑賞や無料ゲームをやっているのをみる度に、愚民化の進行を実感するのである。

もちろん、通信費を払ってのことだ。

結局は、アプリを使わないとその「多機能」が得られない。
「アンドロイド」か「iPhone」の「二択」になったのも、アプリ開発の都合からの結果なのである。
残念ながら、「ウインドウズフォン」は終了してしまった。

新機種への変更をしたときに、「おまけ」でウインドウズフォンをもらって、少しいじってみたけれど、なにができるのか?よりも、なにがしたいのか?がわからなかった。

あのマイクロソフト社にして、こんな失敗をするところが、やっぱり「人間集団なのだ」とわかる。
「神」は存在しないのではなくて、人間が神にはなれないのである。

だからわたしには、安易に「神アプリ」といういい方が気持ち悪い。

それより、ちょっと不完全な「専用機」を使いたいのである。
その不完全なところが、次の改善点になるけど、だんだんと完成度が高くなれば、改善点が「微分的」になって、単なるコスト増に陥る。

そこをどうするか?というメーカー内部の葛藤が、次期新製品になって世にでる。
ここが、わたし好みのポイントなのである。

すなわち、みんなそれなりに「制約」のなかに生きている。
それを「なんちゃって=アプリ」で全部解決しようとするのは、いかがなものかとおもうのだ。

一方で、「実機」よりも、スマホが進んでいる機能もある。
それがまた、なぜか?を想起させるのだ。

たとえば、自動車に搭載されている「カーナビ」の無惨は、「Googleマップ」にどう対抗いくつもりなのか?とおもっていたら、「デンソー」さんが、この絶望的不便のギャップを解消する「橋渡しアプリ」をつくって、無料提供してくれている。

まことにありがたいことだけど、「カーナビ」の完成度を上げる努力を無駄にしているともいえるから、ユーザーとしては複雑な心境になるのである。

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