冷たい9℃の雨の中

昨日の3日13時、「初代横浜駅」だった桜木町駅前で予告されていた、「参政党の街頭演説」を観に行ってきた。
満開の桜が散り始めた、「花冷え」が、「寒波」に思えるほどだから、よほどの支持者でないと寒さが身にしみる。

当初30人ばかりの聴衆で、1時間後には40人ばかりになっていた。

オレンジ色のジャンパーを着た若い「党員」さんから、パンフレットを手渡されて、受けとったら「ありがとうございます!」と言われた。
切羽詰まった相形なのは、「もはやこの政党しかない」という思いの凝縮なのだろう。

少ないからわかりやすい、聴衆は、なぜか女性の数が目立った。

この日の「演説」は、松田学氏、赤尾由美氏、それに、横浜市長選を辞退した藤村晃子氏の三名だと事前にアナウンスされていたから、女性が多数だったのかもしれない。

さてそれで、「参政党」である。
この党の結党は、二年前の4月11日で、日本の「憲政史」初の「本格的近代政党」が誕生したのだった。

これまでわが国には、「近代政党」は、二つあった。
それが、「共産党」と「公明党」だ。
しかしながら、これら二党は、「本格」ではなかった。
それは、「党内」での選挙が「ない」という共通があったからである。

裏返せば、「独裁体制」の共通で、「支持者層」の共通もある。
よって、似たものどおしゆえの「憎悪」が両党間にできるのだ。

戦後、政権をほとんどの期間で「独占」してきた、自民党(自由民主党)は、なんと、いまだに「近代政党」の要件を満たしたことは「ない」という驚くべき「非近代」がある。

わが国は、この意味で、決して「近代国家」とはいえない状態の「まま」なのである。
それで、混沌の21世紀になって、ようやく参政党という、本格的近代政党ができて、いよいよ「初の国政選挙」に臨むことになったのである。

なお、「近代政党の成立要件」については、前に書いたが、念のため書き出せば、次の三点である。
・綱領:党綱領
・組織:党員組織があって、公認候補者は党内選挙で党員が選び、党員は選挙活動を党組織を通じて行う。また、党内に政策「原案」を揉むシンクタンクが組織される。
・議員:党組織の決定事項を議会に示す。

自民党が「非近代」なのは、「組織」が党組織ではなくて、議員の「後援会組織」であることが主たる「原因」だ。
それで、自民党は「自分党」の集合体になっている。
これら集合体をつなぐのが、党本部からの「政治資金提供」でしかない。

しかも、党組織が資金提供を決める要件が、本人の用意する資金を担保にするために、立候補者は、はじめから自分で資金を集める能力がないと、そもそも「公認候補」とはなれないのだ。

ここに、「金権政治」となる「非近代」が、「仕組み」として組み込まれているのである。
しかも、自民党はシンクタンク機能を行政側の官僚に「丸投げ」した。
これで政策原案自体が、官僚の作文に依存することになったのである。

地方議員の現職が何人か加わっているので、すでに参政党は全部の要件を満たしている。
しかしながら、「国会議員」がいないのだ。

地方であろうが中央であろうが、「議員」の役割は、まずは「組織の決定」を議会に反映(質問と提案)させることだ。
したがって、「党員」は、党員による決定事項の優先ができない議員を、次期選挙の候補者としないことも決めることができる。

すなわち、いま、参政党は「政策」が既存の他党より「曖昧」にみえるのは、「党組織」を作る作業と並行しているからである。
そのかわり、「結党の目的」や「党の存在理由」といった、「綱領」についての説明が丁寧にされている。

これは、会社組織なら、「経営理念」のことだ。

結党以来2年もかけて、この党は、選挙に立候補者を立てなかった。
それは、「理念」を党員に理解させるための「教育研修」をやっていたからである。
それが、近代政党としての「組織づくり」なのである。

つまり、いま多くの企業経営者たちが「忘れた」か「無視」しているように、「組織をマネジメントする」ための下地づくりにえらくこだわってきたことがわかる。

「無」から、旗を振って人材を集めた、事務局長・神谷宗幣氏の人生経験から得た、「叡智」ともいえるけれども、じつは、「経営者」としての「常識」をセオリー通り「愚直に」実行しているにすぎない。

だから、神谷氏は「社長」としても自身の事業を成功させている。
ちゃんとマネジメントの要諦を心得ている「経済人(エコノミスト)」なのだ。

とはいえ、今回の参議院選挙が終わると、衆参両院の「国政選挙」は当分の時間をあけることが確実な「任期」の組合せになる。
衆議院も昨年に総選挙があったから、およそ3年間は「ない」のだ。

したがって、参政党にとっては、今回が「乾坤一擲」の選挙になる。

このことが、パンフレットを配る「党員」の、切羽詰まった相形になっている。
現状打破のための切羽詰まった感覚と、二重の「崖っぷち感」は、党内勉強会の成果にちがいない。

おそらく、参政党が日の目を見ずに沈むとき、われわれ日本人の命運も尽きる可能性がある。
しかし、この「言い回し」こそが「非近代」なのである。
参政党が勝つか負けるかではなくて、日本人が生き残れるか?の選択なのである。

新党の全国区での当選ラインは、100万票で一議席だ。
日本人が乾坤一擲の「一票」を投じることができるかの、自分の未来=人生を決める、「歴史的真剣勝負」がやってきている。

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