出国税

来年2019年1月7日から,千円の「出国税」が国籍をとわず徴収されることになった.
これをわたしは「出国税A」と呼ぶことにしている.
すでに「出国税B」があるから,順番が逆なのだが,なぜか2015年7月1日からはじまったこちらはマスコミも話題にしない.それで,あえてAとBの順番をかえて区別しただけである.

「出国税A」の税収は,どの省庁かは関係なく,観光客の「おもてなし」のためにつかわれる,という政府の宣伝によって,「観光業」では降ってくるお金に興味津々のむきもあろうが,何回だまされたらわかるのか?
マスコミでは,どんなタイプの「業」に恩恵(得)があって,どんなだとない(損)のかにかまびすしい.これまでなかった税なのだから,損も得もあったものではない.
乞食のような発想はいかがなものか?腹立たしいばかりである.

アメリカの独立戦争は,新大陸住民を無視して英本国による一方的な「紅茶への課税」が原因であったことは有名である.もちろん独立の気運があったことは確かだが,この一件が「トリガー」になった.
さほどに,「税の徴収」について英米人は敏感なものなのだが,日本人は鈍感である.せいぜい,「消費税反対」というキャッチフレーズが長年いわれつづけているだけだ.

「税」にかかわる人びとは,一般的に優秀である.
そもそも,あたらしい「税」を発案するひと.既存の「税」の制度をいじくるひと.そして,とかく頭脳戦になる「税」を徴収するひと.これらが,地方自治体をふくめて政府側にいる.
おおくの場合,これら政府の「岡っ引き」を引き受けているのが「税理士」で,クライアントの利益よりも税務署の意向を優先させるしかない.

これは、「士業」がからめとられている「試験」と「開業後」の「制度」が,政府によって仕切られているからで,けっして個々の「税理士」やその他の「士」の責任ではないから念のため.
それで,各士業は,管轄する役所に住所がある「有資格者」の名札を掲示して,所長の配下である「岡っ引き」であることを「明示」している.

法曹会のように,「(司法)試験」と「開業後(裁判官,検察官,弁護士)」が分かれているほうが健全な制度だが,他の「士業」では採用されていない.
つまり,(税務・会計士)試験があって,受かると,会計士,税理士,監査監督官,租税徴収官になるようなものだ.

しかし,根本的な問題は,税制の複雑さ,それゆえの「専門性」にある.
だから,だれでもわかりやすい税制が望ましいとしたのはハイエクであった.
たとえば,所得税は「(所得ではなく)『収入』の一律10%」というだけのシンプルさに統一すれば,上に書いた「税」にかかわる優秀な人びと全員が,「税」にかかわらなくてよくなる.かんたんにいえば「失業」するから,「転職」するしかない.これが,社会維持のコストを下げ,かつ,優秀な人びとが付加価値生産に関わるようになるから,社会の利益自体を上げることになる.

この指摘はもっともで,残念ながら,会計士も税理士も,職業上,社会の「付加価値生産」にかかわっていない.つまり,付加価値生産のための歯車でも潤滑油でもなく,本来は必要ないかもしれない生産システムの外にある「チェック制度」にすぎないのである.当然に役人もしかりである.
生産性をあげるには,シンプルな税制にせよ,と一言もいわないわが国「財界」は,とっくに痴呆化している.

戦後占領期に行われた「シャウプ勧告」は,まさに,従来日本の「複雑な税制」と「運用上の不公平」が指摘されたのだったが,これを「骨抜きにする努力」が,独立日本のとった選択だった.
裏返せば,アメリカ人は「シンプルな税制」と「公平」が,その価値観の根底にあることがわかる.
なるほど,それこそが独立戦争の精神というものだ.

国家の都合が官僚の都合に変換されて,国民はそれを押しいただく,という発想とは真逆なのだ.
ところが,ここにきて,フィンテックという進歩で,制度変更ではなく,技術によって制度が攻撃される事態が予想できるようになった.
決済を現金に依存しているのは,もはや「後進国」とみなされるようになったからである.

日本は「先進国のトップ」にいなければならない,と信仰している,国際ランキングではもはや世界から相手にされない国内最高難度の学校出身者たちが,みずから「エリート」であることのプライドをかけて,「電子決裁先進国になる」として民間への命令づくりがはじまった.

売上金の入金が電子化されれば,取引先の他社との決済も電子化しないと効率がわるいというが,自社の売り上げにならない他社取引とは,他社からみれば「売上」だから,お互い様のはなしである.「経費」は他社の売上にすぎない.
すなわち,銀行が要員削減に血まなこになっているように,企業も経理を中心とした事務職のおおくが,不要になる可能性があって,その最後の壁が「納税計算」になる.
ここでは,自社内の「経営会計」にはふれない.

各国税制が,プログラミングの手間として評価されるようになるはずだ.
そのことが,本社をどこにするかという問題を引き出して,投資活動のおおきな判断材料にもなるだろう.
ここでは,「税率」以上に,制度設計における「解釈」や「煩雑さ」がおおきな評価項目になるから,「シャウプ勧告」が生き返る.

いまなら妄想にすぎないが,トヨタ自動車の本社が,たとえばシンガポールになってもおかしくない.
「税」という国家による「搾取」が,企業活動の原資を奪うなら,株主利益を優先させると本社設置場所の選択も経営上の課題になるのは当然だからだ.

そうなると困るのは国家や地方自治体である.
それで,ひそかに「出国税B」が生まれている.
これは,正式には「国外転出時課税制度」といって,国外に転出する1億円以上の株式などを有する資産家などを対象に、その含み益に対して所得税を課税するものだ。

「資産家」が前面に出ているから「お金持ちの個人か」と,人びとの関心をうすめたが,「(株式)など」,「(資産家)など」の,「など」がポイントなのである.
「個人」だけでなく「法人」も対象にしてしまえば,どうなるか?
いまは「個人」が対象だが,しっかり国外転出までに「納税管理人」という「税理士」を選出すること、所轄税務署へ届出書の提出をすることが必須だから,ちゃんと「岡っ引き」に仕事を与えている.

さておそろしきは,「入国税」である.
「出国税B」を課税されて外国へ転居しておわりではない.人生ははかりしれない.
それで,帰国しよう,となったら「入国税」を開発するかもしれない.
それまで外国で稼いだ分に課税する,という構想だ.

外国で稼いだ分は外国で課税されるはずだから二重課税だといったところで,相続税はなくならない.所得税を負担して残ったお金で家を買って死んだら相続税がくる.
それで,相続税を廃止する国がでてきた.
毛色がちがう例では,スウェーデンの「イケア」創業家は,オランダに移住した.それで,金づるの金持ちが逃げ出さないようにスウェーデンは2004年に相続税を廃止したから,ここでも重税化の日本は逆をいく.

いま,資産家が海外移住すると,山田長政のように帰国したくても帰国できなくなるかもしれない.つまり,キャピタルフライトは面倒になっている.
だからそもそも出国するな,ということだ.

どんな時代にも政府は「奪う」ものである.
それにしても,とうとう,わが国は「鎖国」をはじめようとしている.

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