動画サイトの「政府広報」

このところ、しつこいくらいに出てくるのが、「ワクチン接種を勧める」政府公報の動画だ。
冒頭、短い画像をパタパタと出すのは、「サブリミナル効果(洗脳)」となるから、地上波放送では「禁止」されているけれど、ネットなら許されるのだろうか?

「オウム」で有名になった、あれである。

これを、「政府広報」がやるのか?
たいへん不愉快にさせるものの、つぎに、テレビ広報でもおなじみの国立感染症研究所の「医師」が登場して、いつもの「ワクチンは安全だと言われています」と言っている。

誰が安全だと言っているのかが不明な、それでいて自信たっぷりの物言いをするこのひとは、ワクチン大臣の「デマ発言」同様に、もしもワクチンの真実として、その効果どころか「毒性」が明らかになったときに、どういった「責任」をとるのか?とらないのか?

せめて、医師免許剥奪ということでも「軽い」と思うのは、被害者の「想い」が許さないと想像するからである。
その意味で、自民党総裁選に出馬した河野氏が、この秋の衆議院議員総選挙で「落選」でもしたら、と期待をしてしまう。

データを隠蔽して偽装するのは、「大本営発表」とNHKがやっていた歴史の事実があるけれど、これをリアルに聞いていた世代(90歳代以上)がほとんどいなくなったので、再び同じ手法をやっても、気がつかない国民の方が多くなった。

もちろん、「近現代史」を教えない、という学校教育の方針が貫かれているからという理由も大きいが、「歴史とは何か?」も「歴史」で教えないのだから、よほどの「変わり者」か、「なにかに気づいたひと」かだけの特殊世界が、「真実」への渇望をしているに過ぎない。

しかしながら、こうした人たちが僅かでも存在しているので、なんとかなっている、ともいえる。

それが、「別の動画」になっているけど、こちらは「削除」という手段で、プラットフォーム側が「規約違反」を盾に、容赦ない言論統制を実施している。

ソ連や東欧圏の、「反体制派」が、夜中に「禁断」の短波ラジオを、密かに聞いていたことを思い出す。
短波ラジオを所持していること「だけ」が見つかっても、立派な逮捕理由になって、「自由剥奪刑」をくらったものだ。

人間の生存欲求の「自由」を剥奪する、という刑の「非人間性」は、中世の「拷問」から進化したのではないのか?と疑いながら、これを「開発したひと」と「執行人」の異常性を確信する。

サラッと書けば、生存欲求には、食欲、睡眠欲、排泄欲などがある。
これらの「自由」を剥奪する、という「刑」なのである。
もちろん、外部の情報も遮断されるので、今は昼なのか夜なのかも分からないから、収容されて何日が経ったのかもわからない。

それは、「ひどい目にあう」こと確実で、死刑判決より厳しいと言われたものだ。

ならば、そんな刑を受けることなく安穏と暮らしている今は幸せかといえば、「情報遮断」のなかに住んでいる、という点に注視すると、なんだか急に、「知る自由」を剥奪された「まずい状態」だとわかるのである。

まさに、「籠の中の鳥」のような、一種の軟禁状態のなかで生きている。

しかしながら、ちょっと努力すれば、この「籠」をすり抜けて、外部世界を垣間見ることは可能なのである。
だから、これを、「しない」という行動こそが、「やばい」のである。

このブログでよく例に出す「犬」の場合、室内でも「クレート」をハウス代わりさせる訓練がある。
嫌がってなかなか入らないけど、そのうちに「クレート内」が、「穴倉」という野生の本能を思い出させると、とたんに「快適」という判断をする。

すると、あんなに嫌がっていたものが、今度はなかなか出てこなかったりするものだ。
これを、人間相手に「仕込む」という訓練をさせられている、と考えると、思い当たるふしがたくさんあるのである。

そんなわけで、無気力にされた個人や企業(経営者)は、自分から「籠」を出ようともせず、むしろ「守られている」ことに感謝して、籠の中にずっといることの喜びを味わう。

まさに、「奴隷」の心理である。

その心を育む、政府広報が動画になっているのである。
なお、同様に「禁煙」をしつこく言う動画での広告も目に付く。
こちらはこちらで、さまざまな「データ」をもって、「科学的」に喫煙の危険を主張している。

まさに、典型的「エセ科学」だから、どこがどう「エセ」で、その「騙しの手法」を知るための教材としては役に立つ。
わたしも個人的には、「やめ喫煙者」なので、いまではタバコの煙は苦手である。

しかし、だからといって、神奈川県の松沢成文知事(今年の横浜市長選にはめでたく落選した)がやった、「禁煙条例」のごとくの、「禁煙ファシズム」には絶対反対の立場である。

政府がやっているのは、同じ構造の「ワクチン・ファシズム」なのだ。
「今の日本には強い首相が必要だ」という主張も、危険極まりない。
そうではなくて、「ちゃんとした議会」のための、「ちゃんとした議員」が必要なのである。

そうやって、自民党総裁候補を眺めると、全員落選させたくなるのは、どうしてだろう?と。
もっとひどい野党が、この体制を支えてもいる。

つまり、自民党総裁選よりも、はるかに地元での選挙の方が重要なのである。

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