医者じゃない政治家が診断する

病気の「診断」は、医師の特権事項であるから、医師以外の人間が「公に決めつける」ことは、「医師法」に違反する。

西洋医学という「最先端」が、わが国に輸入されたのは、「長崎の出島」時代の「蘭学」をはじまりとするけれど、これが一般に広がったのは、「開国」あっての出来事である。
つまり、「文明開化」のなかに、「西洋医学」のいう文明も入っている。

それだから、「西洋医学」の特殊性は、「非文明」とされた「漢方」を排除して、その特権を文字どおり「特別」にするために「国家資格の医師免許制度」ができたのである。

わが国の歴史で、はじめて「医者」が「医師」になったのだ。

ようは、それまでの「医者」には、免許制度がなかった。
だから、「ニセ医者」もいない。
ただし、医者を名乗って病気を治せないなら、原始時代だっていつでも効力を発揮する、「経済原則」が機能して、「淘汰」されるだけなのだ。

逆に、どんなに難しい病気でも、たちまちにして「治す」となれば、「奇跡」のひと、となって、宗教家にまで昇華する。
その典型が、イエス・キリストなのだ。
『聖書』にある、さまざまな「エピソード」がそれを「証明」している。

よって、医師免許制度とは、一度「資格」を得れば、よほどの事情がないかぎり「免許剥奪」されることはないので、経済原則とは別の制度になっている。
この意味で、自動車運転免許とか、教員免許と同じだ。

結局のところ、すべての「国家資格」が、経済原則とは別にある。
ただし、その資格を取得するまでは、学校選びを含めて経済原則が機能しているのである。
免許取得に有利な学校選択には、競争の原理が機能するからである。

たとえば、ワクチン大臣が若いひとから質問を受けて、これに答えている動画が繰り返し出てくる。
この質問とは、「どうしてワクチンは二回打たないといけないのか?」である。

これに、「二回接種することで免疫力が上がるから」とさも当然のように答えている。
このやり取りは、医師免許制度とは直接関係ないけど、「ワクチンの素人」のはずの行政府の担当大臣が答えることの意味は、「宣伝:プロパガンダ」に過ぎないと言うことだ。

だから、このようなやり取りを見聞きして、真に受けるのは「バカ」であると分かれば、なんの事はない。
今の時期なら質問すべきことは、「どうしてワクチンは効かないとわかっているのに打たなければいけないのですか?」なのだ。

そして、「変異株が~」と答えたら、「病原体としての新型コロナウィルスを特定したひとがいない(論文もない)のに、変異株ってなんのことですか?」と畳みかければよい。
これに回答できるはずがないのだ。

よくある、コロナウィルスの電子顕微鏡写真とは、今回の病原体としての「実物」でもなんでもなく、その辺にふつうにいるコロナウィルスの顕微鏡写真だし、ひどくなると「精密な絵」だったりもする。

ところで、データ解析の基本は、材料となる「データの信憑性」だ。
どんなに素晴らしい、「解析手法」を知っていても、元データに「ゴミ」が混入していたら、そのデータ全体が「ゴミ」になる。
そして、ゴミデータをどんなにいじくっても出てくるものは「ゴミ」なのである。

ちなみに、ここでいう「ゴミ」という言い方も、「統計解析の用語」であるから、知らない統計学者はいない。
さらにいえば、こうした「ゴミ」を、さも「ゴミでない」ようにして発表したら、その統計学者が「ゴミ」と評価されても文句はいえない。

そこで、横浜市で10代初の死者が出た、というニュースには、「そもそも呼吸器を患っていた」という一言が付言されていた。
だから、「もしやガセでは?」と疑うのが、最初の信憑性に関する「警戒感」だ。

昨年12月2日の参議院での厚労省統括審議官の答弁から、PCR検査陽性だからといって「感染者」とはいえない、の意味が「法的」にある。
アメリカのCDCも、PCR検査ではインフルエンザを区別できないと明言した。

しかも、その厚労省は、「事務連絡」として、厳密性は問わないから遺体へのPCR検査でも陽性者を「コロナが原因の死者として報告するよう」にしている。
このことの「欺瞞性」を、「データのゴミ化」として批判もせずに、「そのまま」分析につかう「ゴミ学者」が蔓延しているのである。

そのなかで、政治家に転身したのが「新・横浜市長」になった御仁だ。

少女の死は残念だけれど、市民としとは市長が「ゴミ」だと知れた残念をあぶり出した価値がある。
その意味で、亡くなった少女の死を、市民全員が悼むべきことになったのである。

このひとに投票した市民は、そうしなかった市民に詫びるべき事態だけれど、きっと「欺された」と弁解するにちがいない。
何度でも欺されてきて、いつまで欺されつづけるのか?
恥を知れ、といいたい。

そんな人物を「推薦」した、政党は、少なくとも横浜市の党組織を解散すべきだ。
それが、命を張った少女への、せめてもの罪滅ぼしであって、欺されて投票した市民への、責任なのである。

なお、こんな責任もとらないことを確認したうえで、投票をしなかった市民は、次期国政選挙で、これらの政党とその候補に投票しないことを「誓う」のであった。

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