国宝彦根城の残念

昨年は秀吉の最初の居城がある長浜に立ち寄ったから、今年は彦根にしてみた。
彦根は徳川四天王のひとり、老中大老の家柄である井伊家の居城がある。
幕末、大老井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)は、開国と尊皇攘夷のはざまにあって、とうとう開国を選択せざるをえなかったが、朝廷の許可なし、という状況から、桜田門に散った。

横浜中心部には「掃部山公園」があって、高台には港をみつめているはずの「井伊直弼像」が立っている。
いまは、マンションやみなとみらいの高層建築で、みなとはぜんぜん見渡せないが、杓をもった正装の姿は「開港の恩人」とされている。
おなじ像を、彦根城内にみつけた。

井伊大老の「功績」として、「安政の大獄」がある。
重要人物たちが100人以上ぞくぞくと逮捕・処刑された事件だ。
斬首されたひとのなかでも、吉田松陰が有名だが、もっとも皮肉で惜しい人物だった橋本左内(景岳)の死は、その後の日本の歴史を変えるほどの愚挙であった。

この事件に連座した藩主級のひとたちのなかに、名君の誉れが高い福井藩松平春嶽もいる。
「松平」がつくのだから将軍家ご親戚だが、一橋慶喜、徳川慶篤(水戸藩主)、徳川慶勝(尾張藩主)もふくまれているから、容赦がない。

橋本左内は、福井藩藩医の家系であったが、その秀才・天才ぶりは有名で、家老によって藩主側近・秘書役に抜擢されたのが21歳のときである。はじめ春嶽は「子どもではないか」といぶかるが、すぐさまその才をみとめて、なんと12代将軍家慶に謁見し「献上」されることになる。
そして、幕府危急のときを救う大老人選にあたって、左内は井伊直弼を推したのだ。

その井伊直弼によって処刑されたのは25歳の若さであった。
おなじく29歳で処刑された吉田松陰とともに、東京南千住の回向院にそろって墓がある。

ちなみに、家老がみとめて殿様に紹介され、その殿様がみとめた人物で、「空前」の大出世をしたのは二宮金次郎(尊徳)だろう。農民出身だから、文字どおりの「破格」である。
しかしそれは、小田原城内に二宮神社があることで、破格を通り越した「絶後」がある。

さて、はじめての彦根城は、なんと城内敷地に自動車でいけるようになっていた。
長浜城という地元有志でつくられたコンクリートの城も、はては江戸の千代田城も天下の大阪城もおなじだが、いったいどういう規模だったかの想像をするのが困難なほど「街」になっているのに比べれば、なんとなくだが想像できるのはいいことだ。

「DEJAVU」といえば大げさだが、いまはポーランド・グダンスクの近郊にある、かつて「舌」のようにドイツから伸びた東プロイセンを支配したドイツ騎士団の居城「マルボルク城」をおもいだした。
この城は、ドイツ的質実剛健なつくりで、建物のデザインはあちらのものだが、木造という点で日本の城と共通している。

有名なスイスの観光地も、ゲルマンの気質なのか「合理的な設計」がされていて、その快適な観光システムは、たんなる風光明媚なのではない。
だからかしらないが、マルボルク城の観光も「システム」としてつくられた環境が、快適かつ充実した見学ができるようになっている。

これは、年齢別の想定や国別の想定もされているので、子どもからおとな、よく訪れる外国人に向けてシームレスな案内が用意されていることを意味する。
残念ながら現地に日本語のサービスがないのは、日本人客がすくないからで、文句はいえない。
しかし、いまはインターネットがあるから、日本語での情報はあらかじめ得ることができるので、現地の英語表記でも誤解がない。

彦根城の有料区域には、建物内をふくめてほとんど外国語表記がなかった。
なぜか「ひこにゃん」というゆるキャラがご自慢のようだが、国宝の紹介には意味不明である。
また、当時の城主の生活や家臣たちの活動の様子をしる案内も、日本語ですらないから、ただきつい階段の天守閣にのぼるのがたいへんだった、といういがい、なにが印象に残るのか?

つまり、そこにあるものをただみせる、という「だけ」なのだ。
すなわち、なにをみてもらいたいのか?なにが重要な物語なのか?という「想定」がないのである。
たとえば、天守ちかくの石積みにつかわれている巨石は、どのように運ばれ、どうやって設置したのか?
江戸城二重橋からの石積みは、関西系と東北系の大名によって技術のちがいがわかるが、それとどういう関係があるのか?などなど。

もはや世界標準の「音声ガイド」すらない。
天守閣からみえる景色の解説もない。
地元のひとなら常識であることも、自動車で半日かけてやってきた国内観光客が、どう観ればよいのかにとまどうのだから、ましてや外国人をや、になるのは当然だろう。

そこに登場する「ひこにゃん」は、このフラストレーションにさらなる刺戟をあたえるだけの存在になってしまうから、彦根人のセンスや知能をうたがいたくなる。

役所と切り離した「経営」が必要なのであって、役所のひとではない彦根を愛するひとびとに、ぜひとも「マルボルク城」を見学してほしいと願う。
ついでに、首都ワルシャワにそびえ立つ、スターリンから衛星国への贈り物といわれる「文化科学宮殿」の頂上にある展望台にいけば、彦根城天守閣と同様に、360度どんな景色かも説明しないかつての「社会主義」の素っ気なさを確認できるはずである。

観光やサービスは「設計するもの」という、主催者の義務を忘れてはいけない。

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