国富を流失させる政府

一般的に「自虐史観」というと、「戦争をやった日本は悪い国だった」という「確固たる前提」に基づいた「史観」ということになっている。

それで、「戦争を放棄して経済に特化する」という、いわゆる「吉田ドクトリン」が、決め手のひとつとなって、戦後の経済成長を遂げる原因政策の「大黒柱」だということにもなっている。

つまり、以上が「戦後レジーム」の本質的「構造」である。
そもそも「レジーム」とは、政治形態、政治構造とか政治体制を意味することばだ。

いまさら安倍晋三氏が訴えた、「戦後レジームからの脱却」についてうんぬんかんぬんすることに意味はないだろうけど、「これをどうしたかったのか?」がわからなかったし、「どうにもしなかった」という結果は出ている。

なにせ、8年も首相をやっての「成果」として、「なかった」のだから。

むしろ、「アベノミクス」という、社会主義経済政策を「やった」ことは間違いないので、マッカーサーGHQの「ポチ」だった、吉田茂とそれに続く池田勇人の「資本主義経済」を、戦後レジームとして、これを否定した、という意味なら、祖父の岸信介の本性である「社会主義国」にする、ということでの「達成」はできた、という評価ができる。

地元山口県の元になる、萩藩・毛利家の「3本の矢」の逸話をもってきたのは、シナリオライターの手腕であるけど、特に三本目の政策が「なかった」と批判されていたのは、そうではなくて、はなから「偽装」だと思えば、より説得力がある、社会主義政策なのだ。

すると、山口県が「保守王国」というのも、まったくの「偽装」で、とっくに「党綱領」で「進歩主義=社会主義」を高らかにうたう「自民党」を、そもそも「保守政党」だと認識すること自体が、「大ボケ」なのである。

藩庁があった「萩市」を選挙区とする、「林芳正外務大臣」の親中ぶりをみても、引退した「河村建夫元官房長官」の親韓ぶりをみても、「売国」というキーワードで語ることができる。
これに、安倍晋三氏は、もっと本質的な「売国」である、わが国の社会主義化に心血をそそいだのだった。

残念ながら、誇り高い「萩人」たちは、日本近代をつくった人材を輩出した「保守の誇り」に目がくらんで、その本質をつかむことができない。
「形式的保守」に自己満足していることが、全国民にはわずらわしいのである。

これを知っている、マスコミは、安倍氏を「タカ派」とすることで、レッテルを「逆張り」して「偽装」し、有権者を欺しているから、詐欺集団化している。
もちろん、安倍氏にも「都合がいい」からこれを否定しない。

要は、「グル」なのである。

戦後経済成長の「奇跡」については、前にも「ラッキー」だと書いた。
まさに、「3本の矢」で、
・安い石油
・冷戦構造
・朝鮮動乱 を指す。

自分で選択した「政策」による「奇跡の加速」もなにもない、ということに変わりはないけど、「敗戦」による「妙な利益」をこれに加えていいのが、「植民地を失ったこと」なのだ。
これが、「4本目の矢」ならぬ、「弓」を意味する。

邪悪な欧米人の、奴隷化で収奪するだけの植民地とはちがって、形式的には植民地だけど中身は、「同化」という、欧米人には「美辞麗句」にしか聞こえないことを、本気でやったのが、日本文明が残っていた時代の日本人の発想なのだった。

「五族協和(日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)」を最初にいったのは「辛亥革命」だったけど、これを本気で「政策」にしたのは日本で、「人種差別撤廃」を国際連盟に提案して、欧米人を「驚愕」させただけでなく、これがかえって列強諸国が日本を貶める「国際協調」になったのである。

しかして、これら欧米列強が常識とする、植民地から「利益」を得ることの「真逆」が、わが国では国民負担になっていた。
つまり、あり得ない「赤字」が、わが国の「植民地経営」だったのである。

収奪されているのは、宗主国の国民であった。
すなわち、領土内でも対等な(内国)貿易ではなく、政府による投資(予算)が、一方的に植民地へと流れて、その見返りの「収支」では、敗戦まで「一度」も黒字になったことがなかった。

おどろくべき「お荷物」を、日本本土の国民は負担させられたけど、それが日本人の使命だとして、文句をいう国民がいなかったからできた、ともいえる。
しかし、「国富」を奪っていたのは、日本政府だったことにかわりはない。

だから、わが「国民」にとって、GHQが植民地を奪ったのは、GHQの思惑(欧米人の常識)とは逆に、「手かせ足かせ(絆し:ほだし)」になっていたものからの、「解放」だったのである。

それに、敗戦で貧困化したわが国の予算は、極小化されたので、これが政府の民間への介入を不能にした。
このことが、「自由経済」の元となったという本質的皮肉がある。

それで、植民地負担のなさの効果と奇跡の「3本の矢」で発展したら、政府の体制も整って、政府の介入が「組織的」に可能となると、日本経済の成長も止まったのである。

これを、「完成」させたのが、田中角栄内閣であった。
それから幾星霜、アベノミクスが磨きをかけて、いよいよ社会主義経済体制ができあがったところにコロナがやってきた。

環境問題にかこつけた、内燃機関をやめさせる自動車産業への「破壊工作」が、政府をして熱心なのは、日本人を貧乏にして、奴隷化するという、マルクス・レーニン主義のシナリオ通りだ。

800万人の職を政府が奪う。

かつては、植民地の人々の「役に立った」政府による国富「流出」だったけど、投資先たる植民地とは、「日本領土」そのものだったから、「列島改造論」が小さく見える「地方分配」ではあった。

いまは、誰が得をするのかわからない国富の「流失」を画策しているのが、自民党とそのスタッフである官僚がつくる日本政府なのである。

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