国民の祝日に関する法律の特例だってさ

7月なのに4連休になったのは、コロナのせいではなく、オリンピックのせいだったことを覚えているだろうか?
こうした、「祝日」を定めているのが、『国民の祝日に関する法律』(昭和23年法律第178号)である。

あっさり読み飛ばしてしまうのが、( )の中なのだが、わざわざ( )で括る意味もある。
昭和23年とは、いわゆる占領中にあたるので、何気ない法律だけれど
GHQの意向をたっぷり忖度している法律とも読める。

わが国の適当さ、あるいは、当時のおとなの事情があって、占領が終わって独立を回復したとき、占領下での法律の根本的見直しを「しなかった」ので、そのまま占領されっぱなし状態が続いている。
もちろん、このなかには『日本国憲法』もある。

どうして「祝日」にならないのか不思議だが、日本が「主権を回復した日」が忘れられている。
それは、1952年(昭和27年)4月28日である。
ふつうなら「独立記念日」なのだけど、自助努力で独立を勝ち取ったというよりは、なんだか「許可された」感がある。

念のためだが、安倍内閣は2013年(平成25年)に、閣議決定という形式で「主権回復の日」を定めたが、国民の祝日に至ってはいない。
主権回復=独立国、になるのが嫌なひとがたくさんいるからだろう。

ただ、日本人としての矜持をみせたのは、戦犯の身分回復であった。
これには4回も国会決議がなされていて、ぜんぶが「全会一致」であった。
昭和27年6月9日「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
同年12月9日「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
昭和28年8月3日「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
昭和30年7月19日「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」

そんなわけで、法的にわが国には「戦犯:戦争犯罪人」は存在しない。
「戦犯」についてこのような根性ある決議がなされたのに、そのほかのものが修正もされないで今日に至っているのは、これもGHQ(=アメリカ)の意向が反映されているからとかんがえるのがふつうではないのか?

裏返せば「戦犯」という概念のつくりかたに無理があったことをアメリカ側も知っていて、「やりすぎ」だと思った可能性があるし、冷戦による味方としての日本の取り込みのための方策だったのかもしれない。
戦犯の名誉回復は、あたかも主権を回復したという、本当は方便にすぎないものを信じ込ませる心理戦の一環だったとも思われる。

だから、正々堂々と今日も『国民の祝日に関する法律』なるものが存在し続けているのだろう。
戦中・戦前期にあった「祝日」と「祭日」の区分がなくなったことをかんがえてみればよくわかる。

『皇室祭祀令』廃止という前提がある。
皇室が行う神道の大事な行事(祭祀)の日を「祭日」として、それ以外の「祝日」と分けていた。
つまり、『皇室祭祀令』が廃止された理由である、「占領」ということがここでも首をもたげるのだ。

だから、接続的な意味として、「新嘗祭」を「勤労感謝の日」に言い改めためて、明治6年以来の11月23日と定めたのだ。
しかし、『国民の祝日に関する法律』では、「ハッピーマンデー」と称して連休化させるという「飴」の改正を用い、徐々に「その日」の意味を薄めることを謀っている。

すなわち、物理的な「休日」としての意味しかないような、薄っぺらな日にすることを推進しているともいえる。
たとえば、今年から「体育の日」はなくなり「スポーツの日」へと名称が変わるけど、とっくに「体育の日」は10月10日ではなくて、10月の第二月曜日になってしまった。

前回の東京オリンピックをいつ開会するのか?という問題は、「快晴の秋晴れの日にしたい」ということから、観測以来の「晴れの得意日」として、10月10日に決めたのだ。
その甲斐あって、当日は青空のキャンバスにブルーインパルスが描く五輪が映えたのだった。

開会日を自分たちで決められる。

この何気ないことが、じつは「主権回復」に対する当時の国民の喜びと合致しているのだ。

果たして、今回のオリンピックは、だれが開会日を決めたのだっけ?
延期になっても、やっぱり「酷暑」にやるという。
わが国衰退の象徴的イベントに成り下がっている。
二次関数のグラフのように、昇りと降りの局面がイメージになっている。

法律だから、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)の特例、として、「海の日」が23日、「スポーツの日」を24日にすることで、4連休をつくったのが平成30年6月20日(施行日)である。
こんな前に決めておいて、まさかの延期に、対応できない。

この機動力のなさこそが、国家衰退の原因なのである。
これぞ、国民主権なき国家依存の強烈な副作用なのだ。

果たして、昨日、初めての「スポーツの日」を消化したから、ことしの10月に祝日はない。
だから余計に10月10日が、今年も晴れるのか?に興味がわく。

国家主権の源泉に国民主権があるものを、外出するなという為政者に、今日はなんの日?と聞く気もしないのであった。
スポーツの日に外出するなとは、ブラックジョークにもならない。

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