法治国家として「あるまじき」事態となっている。
本当にアメリカナイズされた我が国の中で、特別な地域になったのは「大阪」だ。
アメリカは連邦国家なので、ふつうの「国」にあたるのは「州」である。
だから、「州」を支配する「政党」によって、隣接する州とはぜんぜん違う政策が実行される。
「連邦法」が「統一」させるのは、あんがいと「緩い」ようにできている。
こうした「設計」が、建国時にされている。
それで、アメリカはイギリスを含むヨーロッパや日本とちがって、封建制を「飛び越えて」作られた。
なので、アメリカには身分上の「貴族」は存在しない。
良い悪いの話ではなくて、ヨーロッパや日本のように、歴史の古い地域、つまり、ずっと以前からひとがたくさんひしめき合って住んでいた地域には、早い段階で「政府」ができた。
通信手段がいまのような「瞬時」はあり得ないにしても、連絡が取り合える地域が支配下になったのである。
それで、「言語がちがう」ともなれば、「異国」として分けたのだ。
この意味で、アメリカの「州」とは、基本的に言語は同じだから、何で分けるのかといえばそれぞれに理由がある。
日本人がアメリカを知っているようで知らないのは、50もある「州」の「成り立ち」全部を知っている訳ではないことも「原因」の一つになるのである。
すると、日本人にはアメリカを教えない、という「教育方針」があるにちがいない。
アメリカ人が日本と中国の区別ができないとかという、情報ギャップが、我が国ではアメリカ人の阿呆さとして「お笑い種」になるけれど、アメリカ人からしたら、まずは自分の州の成り立ちと、そのほか49州の成り立ちを教わらないと、アメリカ人になれない。
これを「教育」で優先させればさせるほど、「外国」のことは後回しになるのである。
すると、たとえば日本と中国のちがいがわからないというアメリカ人ほど、あんがいと「真面目」なアメリカ人なのかもしれない。
戦後の日本の教育が「問題」とされるのは、「神話」からはじまる「国の成り立ち」を教えない、教えてはいけない、という「命令」をGHQから受けて、「主権回復」をしてもこれを「守り続ける」という「保守」をしていることにある。
もちろん、こんな命令は、いかに戦勝国といえども「国際法違反」であるから、アメリカ人だって知らないはずはない。
だから、日本が主権を回復したら、さっさと「元に戻す」と考えるのが「ふつう」だったのである
しかし、日本人はこれをしなかった。
主権回復のときに「密約」があった、ということだとしても、密約の当事者がしなかった、させなかった、ということで完遂することはできない。
「国民」が、戻すことを躊躇したのである。
それが、戦後の占領時代における「洗脳の成功」という直接的な話になっているはいるけれど、明治以来の学校教育(開発独裁国家としての国民教育)の「成果」であった。
つまり、上からの命令には絶対服従させるための、「集団主義的教育」のことで、この根本は、戦後も一切変えていない。
あるひとが仲間を募って、アメリカの学校教育を実地で体験受講したとき、元軍人の講師から「君らはどこで軍事教練を受けたのか?」と真剣に質問されて困惑したというエピソードがある。
我々日本人は、戦後教育の中でも、しっかり命令に従順な教育「だけ」を受けて、それが「当たり前」だと思い込んでいる。
さて、大阪は、アメリカ流にいえば「維新の会」という政党が「支配する地域」になった。
「府」「市」共にであって、「府知事」と「市長」が任期中に「入れ替わる」ことも「伝統」にした。
この政党の大きな政策は、「都構想」というもので、二度の住民投票で二度とも否決されたけど、実はこっそり「条例」を可決して、事実上の「統合」を推進している。
こうした「やり方」も、姑息で知られるアメリカ民主党とそっくりで、「グローバリズム」という思想背景もそっくり同じだ。
そんな大阪(市)は、いま流行しているといわれている「感染症」について、保健所によるチェック体制を大幅に「緩和」した。
具体的には、50歳以下の「陽性者」への電話連絡を取りやめることにした。
理由は、保健所業務の「逼迫」だと説明している。
この「病気」は、感染症分類で「2類」に国が指定した「まま」なので、大阪市のこの決定は、「法律違反」なのだ。
保健所業務が逼迫していることは、法執行上、まったく理由にならない。
むしろ、「感染症」ということからしたら、保健所機能の強化措置を速やかに実行するのが行政責任というものだ。
我が国は「連邦国家ではない」ので、大阪のこの事態は、「全国一律の法治」から逸脱するものだ。
「市」を監督する立場の「府知事」は、若い優秀な弁護士だから、知らないとはいえない。
「確信犯」なのである。
国家として、本当に「溶けだした」のが、日本国の「病気」なのである。