奥深い「甘辛人生道場」

赤ちょうちんに目いっぱい書いてあるから、当時は「電飾看板」の役割もあったろう。
残念ながら、わたしにはこれを見た記憶がないので、パチンコ店のハシリに実際にあったのか、それともこの作品の演出なのか?の区別が判断できない。

名作製造機・小津安二郎の映画、『お茶漬けの味』(1952年:松竹)での表現だ。
シナリオ自体は、1939年に書いていたという。
だから、時代設定がより、「現代的」になって製作されたとおもわれる。

どのくらいの時間をかけて製作したのかわからないけど、公開が昭和27年10月1日であるから、「占領中の製作」なのかもしれず、「完成が独立後」になった可能性がある。
もっとも、「国家総動員法ができた翌年」のシナリオ完成だし、「内務省の事前検閲」を通らなかったというから、結局は、絶妙なタイミングで世にでたことになる「縁」がある。

テレビ放送が本放送となるのは、本作公開翌年(1953年)のことだ。
それでもって、興行収入は、1億1千万円弱だったという。
当時の物価と現在とを比較するのが、あんがい困難なのは、それぞれの「物品」が、それぞれの物価上昇をしたからである。

念のため1953年の資料をあたると、
大卒事務初任給:9200円
新聞購読料/月: 280円
ラーメン   :  35円
ビール    : 107円 とある。

だいたい20倍ぐらいになった感じがするけれど、ビールがなんだか不思議なお値段である。
作品中でもビールがふつうに注文されて登場するけど、やたら「高級」にみえる。

68年間で20倍だから、年の平均上昇率(幾何平均)を計算すると、4.5%(68√20:20の68べき乗根)となる。
ビール以外、マッチしているような気がする。

バブル崩壊後のインフレ率は2%程度と低く、最近ではマイナスになったけど、昭和28年スタートの計算なら、これから高度成長期になって、そのころのインフレ率はだいたい7%あったからである。
いまからすれば、懐かしい「公定歩合」なんてものもあった。

こうした古い映画の映像に見る風景が、いまとなっては貴重だし、俳優陣のセリフ回しが、絶滅した日本語として録音されているので、楽しいのである。

この作品では、「宮城」から銀座に向かう光景が記録されていて、和光のビルがぽつねんとそびえ立っている銀座を観ることができる。
登場する「有閑マダム」たちの言葉は、けっして「ざぁます言葉」ではないし、極力手短な男性陣の会話と、なにかあればはじまった一節の「歌」がある。

そういえば、むかしの宴席にはかならず「歌」があって、これを酔ったひとたちが妙にバラバラなノリで合唱していた。
だれかが歌い出すと、それに集団があわせるのだけれど、あんがい「軍歌」はめったに聞いたことがない。

軍歌を歌うのが、テレビドラマの定番の場面だったのも、「作られたもの」だったとおもう。
海軍にいた父は、ドラマのなかで歌われる「同期の桜」に憤慨していた。
戦争に行かなくて生き残ったひとたちと、戦争に行って生き残ったひとの「断絶」だ、と。

俳優が悪いのではない。
これをやらせる、演出家や制作者がふざけている、とつけ加えていた。
「悪い戦争」と世間が認識し出したことへのやるせなさを、とうとうなにも書き残さずに物故した。

日本映画だから、という国内を「鎖国」して観れば、たしかに食うや食わずの時代にあって、上流階級というひとたちの浮世離れした生活は、もしやいまより豊かだったかもしれない。
しかし、なんだかスケールが「小さい」のだ。

欧米人の上流階級とか、かれらがアジアにつくった「邸宅」と、そこでの生活ぶりは、比較しようがない。
すると、外国目線でこの作品を観たら、どこにも上流を「感じない」にちがいない。

ようやく、木暮實千代が演じる「奥様」が、そのトンガリ具合から、「もしや」と感じるかもしれないけれど、あるいはやっぱり、ふつうすぎてスルーするかもしれない。
「奥様」のロココチックな寝室の壁紙、家具調度、それに額の絵にいたるまで、日本人には浮世離れにしかみえないけど、その天井の低さと狭さから、イプセンの『人形の家』を連想させるかもしれない。

話の展開は、大団円だ。
シェークスピアの『じゃじゃ馬ならし』にもみえるけど、欲求不満の心理ドラマとして観れば、佐分利信演じる「旦那様」も、家庭内マネジメントに失敗している。

すると、当時のエリート社員は、もしや職場のマネジメントにも失敗していたのでは?という疑問がわくのだ。
職場の彼の仕事ぶりが、個人的すぎてなんだかなぁ、にみえるのはそのためか?
机の下の彼の両足を、妙に「内また」にする演出がされている。

いまどきなら、さてはジェンダーか?

そんな「旦那様」は、流行りだしたパチンコを気に入ったらしい。
「こんなものが流行ってはいけない」と、笠智衆が演じるパチンコ屋の親父にいわしめたのは、逆説的な「正論」で、それで食うしかない悲哀があるけど、きっとこの親父さんは、パチンコ屋の経営者として一代で財をなしたにちがいない。

まさに、甘辛人生道場、をみせてくれた。

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