子どもとおとなの区別ができない

ばかばかしいはなしだから,みんなの話題になる.
それが他人の不幸だと,たまらなく楽しいとかんじるのが世間というものだ.
これを提供するのは,むかしは「文屋」といってさげすんだ.
売文家業である.横文字にすれば「ゴシップ」だ.

金で動くきたならしい怪しげな雑誌記者というのは,あいかわらずいろんな作品に登場するが,大新聞の記者が別物だというひともいない.
ただし,大新聞の記者はいまだに社旗をひるがえしたハイヤーに乗ってあらわれる.
JALの搭乗員がそうだったように,大新聞の経営が傾いて「経費削減」になったら,さぞやハイヤー業界はこまるだろう.

べつに三田佳子にはなんのうらみもないが,その息子である高橋某という38歳になる「おとな」が,今月4度目の逮捕をされたという.
日本では「逮捕」が事件になるが,刑事裁判での結果が重要なのだ.その刑事裁判も,起訴されれば99%有罪になる国だから,捜査が優秀なのか裁判所が仕事をサボっているのかはわからない.

それで,このひとの場合は,一回目が高校生で保護観察処分に,二回目は執行猶予つきだが有罪判決で,三回目は実刑判決で収監されている.そして、今回だが,容疑はすべて覚醒剤だから,みごとな常習犯である.当然だが二回目以降は「成人」である.
なお,三回目には薬物依存治療を受けてからの収監となっている.

この「事件」が興味深いのは,親の子離れと子の親離れという双方からのバランスが狂っているからであると同時に,世間が「おとな」を子ども扱いすることの違和感があるからだ.
前者は親子間のことなので,他人が介在するはなしではない.小遣いが月額で70万円だの日額15万円だのだと騒いでいるが,おなじく母親から月額で1000万円もらっていた元総理大臣だっている.
だから,報道の義務としては,贈与税の課税状況が適正かどうかだけだろう.

母から見れば子どもは何歳になろうが,一生「子ども」である.
今回の逮捕で三田がだしたコメント「自らの責任と覚悟をもって受け止め,そして罪を償って,生き抜いてもらいたい」というのは,おとなになった子どもに対する母からのことばとして違和感はない.逆に,二度目のときに言えなかったのが悔やまれる.

似たようなはなしが,高畑淳子親子にもあったのは記憶にあたらしい.
このときは,母親が成人の息子の不祥事を全面謝罪していた.
「業界」で活躍する先輩でもある母が,おおきな傘になっていたのは,三田の一回目,二回目にみられた現象とおなじである.

なんのための子育て教育か?と問えば,「自立」につきるとおもうが,それができていない.
また,この二例では,父親が不在なのも共通している.
さいきんのCMで,あんがい父親がでてこないものがあるのは,いつからかトモダチのような親子が理想とされるようになったからか?

それも,成人した子とのトモダチのような,ではなく,幼児からである.
つまり,子どもがおとなになれないというよりも,おとなが子どものままなのだ.
大学の入学式や卒業式,果ては,入社式に親がついて来るようになった.
ちょっと前ならかんがえられない.

2022年4月1日から,この国では18歳から民法上の成人になる.

あるときは子ども扱い,あるときはおとな扱いの「法的」なはじまりでもある.
飲酒や喫煙,ギャンブルなどは,18歳ではいけないことになっている.
企業でも,18歳から20歳までの扱いがいろいろ面倒になるはずだ.

はっきりしない国である.
おとなが「覚悟をもって生き抜く」ことを放棄しだしているからではないのか.
国や自治体が助けてくれる.
ファンタジー国民の夢は覚めない.

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