官僚と政治家の「ふるさと納税」

9月10日、おもしろい記事がでた。
週刊朝日の『菅官房長官に意見して”左遷”された元総務官僚が実名告発「役人を押さえつけることがリーダーシップと思っている」』である。

この「告発」をしたのは、2014年当時の元自治税務局長である。
このひとは、「ふるさと納税」を総務相時代に創設表明した菅氏が控除の限度額を倍増させたことを問題にして、直接「意見」したところ、翌年に自治大学校に異動になったという。現在は立教大学で特任教授を務めている。なお、記事では、次官候補のひとりだった、ともある。

詳しくは、記事そのものをお読みいただきたい。
なかなかの「ねじれ」が散見されて、じつに興味深い内容になっている。

この話の発端になっている「ふるさと納税」について個人的見解をコメントすれば、「国民総乞食化計画」としかおもえない。
「納税」のはずが、「返礼」のほうが多額になるからである。
だから、ふるさと納税をしないと「損」をする。

「税」そのものが、納税者にとって直接損得勘定の対象になるとは前代未聞の大発明である。
権利ばかりを主張して、けっして義務を果たさない、そんな破廉恥を国民に奨励するようなものだから、わが家では税に詳しいひとにどんなに勧められても、「行使しない」ことにしている。

これが、国民の矜持というものだ。
なので、堂々と批判できるのだ。

この点で、記事の元官僚の主張に異議はなく、まったく正しい。
それに、こんなポンコツな税制を推進したひとが、次期首相とは情けないと思う。
なんだか胡散臭い人物のような気がしてならない理由のひとつである。

けど、待った。
地方税だからといっても、ひとりの政治家だけに責任を還元できる話なのか?
与党の存在はどうなっているのか?

菅氏は与党内で派閥の領袖をしているわけでもない。
これは、今回の「総裁選」でも明らかだ。
つまりは、「ふるさと納税」を強力に推進した政治家だけど、もっと多くの賛同者が与党にいた、ということだ。
逆をいえば、与党に反対者がいなかったから実現したのである。

民主主義の原則からすれば、あくまでも官僚は行政当局のひとであって、決して政治家ではない。
政治の決定に従うのが、行政の本分である。
すると、この元官僚は、どこかズレている。

この「ズレ」が、左遷という結果になったなら、それは「左遷」といえるのだろうか?
むしろ、当然の人事なのではないのか?
それに、どうして「ズレ」ているひとが、次官候補といえるのか?なにかの勘違いではないか?

現実に、次官になれなかったのは、本人には不本意かもしれないけれど、行政と政治との近代民主主義の仕組みからすれば、「正解人事」なのだといえるのではないのか。

ただし、本人がどこか気の毒なのは、意見したのが「正論」であったからである。
これをどう観るのか?

やっぱり、わが国政府・政治体制の「非近代性」が浮かび上がるのである。
これは、与党にかなりの責任がある。
「近代政党」として、党内に「シンクタンク」がないばかりか、半世紀以上も前の「保守合同」以来、延々と党内にシンクタンクを設立する努力をせず、官僚機構にこれをやらせた。

だから、官僚が政策立案をし、それを立法化する手はずまで整える。
まったくもって、与党も議会も必要としない構造を、与党がつくりあげてしまったのだ。
「本来なら」、この元官僚の主張のように、担当部署の官僚が「異見」したら、この構造をそのまま適用して、その案に政治家が従うべき状態になるのがこの国の「ふつう」なのだ。

官僚が政治を支配する、という「ふつう」からしたら、そうならないのは「異常」なのでこの「告発」になっている。
みごとな「ねじれ」がここにある。

しかも、告発者はこのねじれに、いまもって気づいていないという、「もうひとひねり」のねじれもあるし、民主主義が大好きな新聞社系雑誌も記事掲載にあたってこれらに気づいている素振りもなく、冒頭のタイトルキャッチを掲げるというねじれがある。

だけど、ふるさと納税の場合、与党も「イレギュラー」を決め込んだのである。
ところが、この「イレギュラー」は、近代民主主義国家なら「レギュラー」なことなのである。

それでもって、「問題」となれば、国民が反対の声を上げ、これを報道することで政治家に影響を及ぼす。
もし、国民が「乞食扱いするな」と多数が怒っているとなれば、次期選挙で落選の憂き目にあうかもしれない、という「近代国家ならふつう」のストーリーになる。

ところが、国民がこぞって「得する」として、この「撒き餌」にむらがったのである。
みごとな「非近代性」を国民が示している。

菅氏は横浜市に選挙区がある。
その横浜市は、ふるさと納税によって、おどろくほどの市民税収入を失った。
わが国最大数の横浜市民が、横浜市に納税しないからである。

税収を失った危機感が、カジノ誘致のインセンティブになったのだ。
ところが、世界のコロナ禍を受けて、世界最大のアメリカのカジノ業者が横浜進出を断念した。
残るは、中華系しかない。

国民を乞食にした、ふるさと納税の顛末はまだ先だけれど、近代民主主義が成立していないこの国の中での主導権争いも、とうぶん続くしかない。
それは、国民不在という中での争いで、しかも多くの国民がその争いの結果に興味すらなく、検察人事であったように、政治家よりも官僚支配に信頼をよせているふしがある。

国民の不幸は、やっぱり自業自得なのである。

菅氏が時のひとになる理由もここにある。
元官僚は、大学教授になって凄いことを教えてくれた。
本人の意図とはちがうだろうけど。

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