官僚の劣化は「幸い」である

「前代未聞」の事態である。
政府提出の24本もの法案にミスがあったことがわかったのだ。

法案に「政府提出」があるとは、アメリカではありえないことだと、念のため認識しておくことも重要だ。
つまり、「行政府」から「立法府」にあたらしい法律が提案されて、立法府がこれを採決すれば、それが、「法律」になるとは、行政府による立法府の「乗っ取り」にもみえるからである。

ところが、わが国には順番がおかしなもう一つの「仕組み」があって、それが「与党」における事前の検討会である「政調会」と「総務会」があることだ。
ここに各省の立案担当者がやってきて、「説明」する。

これが、事実上の国会内「委員会」にあたる。
そうやって、事前に政調会が承認すると、こんどは「総務会」で党の意志としての決定をするはこびとなって、重要な決定には「党議拘束」という所属議員への「強制」もある。

すなわち、総務会決定とは、事前の「閣議決定」になっている。

ここからみえてくるのは、議員に法案立案能力が「問われていない」、ということである。
お膳立てはぜんぶ官僚が用意する。
それを、与党内で承認決定すれば、もう国会決議で決まったも同然になるのである。

そして、左官屋でいう親方の独壇場である「仕上げ塗り」のごとく、政府法案そのものの仕上げをするのが、「内閣法制局」なのである。
自民党をふくめてわが国の政党に「法案策定」の機能がないのだ。

この「致命的欠如」こそが、いわゆる「政治改革の本丸」なのである。

これを無視しつづけて、各省庁から出向してくる高級役人(エリート中のエリート)が、最終チェック(過去の法律と整合性をとる)をして、これが、「閣議決定」を経て国会に提出される。

つまるところ、政府提出法案の「親方」は、内閣法制局なのであって、党の独立はなく、政府に依存したままなのである。
この点、中国の体制は、ずっと「近代的」で、政府は党に逆らえない。

しかしこれは議員にとって、たいへん便利な仕組みである。
と同時に、各省庁の役人にとっても、たいへん便利な仕組みなのだ。
じぶんたちのやりたいことを、党の有力者と「つるんで」すれば、できないことはなくなる。

わが国は、中国と逆方向から、政治と役所が結託しているのである。

頭脳明晰な犬種や個体で、主人とおぼしき人間を、じっさいにコントロールしている犬がいる。
おやつ欲しさに吠えたり(おやつをよこせ)、頭をなでさせたりする(なでろ)だけなら、まだ序の口なのである。

そんなわけで、中国人はこのような人物を蔑むけれど、長い時間、わが国の主人は、選挙で勝った政治家のようでいてじつは、公務員試験に受かった役人が仕切ってきたのである。
これを、逆転させた「かのように」振る舞ったのが、天才、田中角栄だった。

生涯「33本」という、「空前絶後」の議員立法を成立させたことが、上記の「仕組み」からしたら、いかに「異常」なことであるか?
けれども、田中は、自分の事務所に官僚を呼んで、法案立案のアルバイトをさせたのだった。

「学歴がない」ことから、政調会も総務会も信用しない。

そのために、自派を拡大させる必要は、他派よりも「強い切実さ」があったのである。
そこで、カネをつかった。
地元への予算配分で、集票・集金マシーン化させて、それが自派議員によって全国に拡大し、とうとう自民党ぜんぶに浸透した。

こうして、知事は事実上の「留守居役の家老」になって、地元有力国会議員が、江戸表で予算を得るのに依存した。
しかし、二つの理由で体制がゆらぎはじめたのである。

第一が、「財政危機」という財務官僚がいう「絵空事」にからめ捕られて、「マシーン」の燃料である中央からのカネが減ったのである。
第二が、優秀な学生が官僚になりたがらない、という現象がはじまって、「起業家」になりたがるようになった。

優秀ゆえに、一度の人生をみずから開く自信もあるし、それなりの「制度」が整備されて、資金調達ができるようになったのだ。
たとえば、「クラウドファンディング」がそれである。
硬直化した銀行から、ありもしない不動産担保を要求されることもない。

しかも、「ブラック企業」の典型こそ、役所なのである。
駆け出しの高級官僚ほど、地獄のような労働環境におかれる。
「超」長時間労働だって、むかしは「天下国家」を支えるという気概でやっていたけれど、とっくにそんなものはなくなった。

省益追求の実態と業務が合致したのである。

学校の先輩訪問をすれば、役人なんかになるな、といわれて、その先輩も退職して民間に就職するか起業するのをみているのである。
おそらく、その心は、「割に合わない」ということだろう。
民間やらで同級生が稼ぎ出す年収にかなうはずもない。

これは、「親藩」と「外様」の概念が消滅したからである。
親藩には年収は少なくても、重い職務と権力が与えられることで満足できた。
でも、国家の衰退がはじまって、そんな状態の将来に重い職務と権力なんてぜんぜん魅力がなくなったのである。

緊急事態宣言で、とうとう「留守居役の家老」に強大な権限が移ってしまった。
それでもって、うれしくて、知事たちが余計な権力行使にはしっている。

雪に喜ぶ犬のよう、なのである。

けれども世の中、悪いことばかりではない。
政府法律案が間違っていても、そもそもの「仕組み」が変なのだ。
政策立案をじぶんでする「近代政党」がでてくるきっかけでもある。
優秀な学生が付加価値創造を決してしない、政府に勤める理由もない。

わが国復活の「必然」がはじまったとおもえば、「幸い」なのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください