寂しい商店街はダメ商店ばかりか?

昔から知っている近所の商店街が,ずいぶん寂れてきた.「商店街振興策」として,道路整備事業をやったら,もっと寂れた感じがする.路面は一般住宅とシャッターばかりで,たまに開けているお店も,なにを売っているのかわからないような状態をのぞき見ることがある.しらない土地を歩いていても,直線道路のはるか向こうまで,週末のアーケード街なのに数人の歩行者を遠くに確認するにとどまる商店街がたくさんある.

目的地になっている店がある

そんな商店街だが,ふと入店してみたら,どこからこんなにひとが湧き出たのかと思うほどの繁盛店がある.お客さんはそれぞれ,三三五五やってきてはいなくなるをくり返しているから,道路はまばらなままなのだ.つまり,その店内に「滞留」しているにすぎない.まるで,広大な真空の宇宙空間に,突然その店の空間だけに物質があるような風景だ.

「商店街」という形態ではあるのだが,ひとびとはまさに「一店」集中.他店には目もくれず,完全なる「目的地」になっている.では,とそのクオリティを拝見すれば,すぐに納得できるのだ.飲食店であれ,物販店であれ,「ここしかない」と感じさせるモノがある.それを「独自性(オリジナリティ)」という.

大型ショッピングセンターにはない

不思議なことに,寂しい商店街で「目的地」化したすごいお店ほど,近隣の大型ショッピングセンターに出店していない.地方・地域もちがう,業態もちがう商店主に話を聞いたことがある.すると,呼応したようにかんがえ方がとても似ていた.

大型ショッピングセンターに出店する「余力」がない,というのだ.そして,寂れた商店街のことはあまり気にせず,「自分のお店」を大切にしていたのだ.それは,お店にやってくるお客様を大切にしている,という意味である.「いやー,身体は二つありませんからね」というのも共通している.自分の店のお客様は,自分が接客したい,自分が目を配っていたいという.だから,他店舗展開は,はなから考えていないのだ.

しかし,それはこれらのお店のクオリティを思いだせば納得できる.そこで,どうやってこのクオリティを作り上げて,どうして維持できるのかを聞いてみた.

ゴールイメージから演繹していた

こうしたい,ああしたい,という想いというものは誰にもあるものだが,なるほど,と思ったのは,「ああはなりたくない」という想いがベースにあった.「厭だ嫌だ,ああはなりたくない」から,どうすればいいのかを考えたという.そこでたどり着くのが,お客様の観察だった.あのお客様は,どうして笑顔なんだろう?愚直な疑問である.そこで,思い切って質問したという.

お客様の利用目的が,自分の考えとちがっていた.

ある飲食店のばあい,主人は「うまいもの」だと思っていた.ところが,お客様は「この土地らしく,昼も夜も間違いない店」だった.ある物販店のばあい,主人は「高級進物用」だと思っていた.ところが,お客様は「送った相手からの感謝が嬉しい」だった.それで,「ゴール」を修正したのだ.

お店の目的とは存在価値でもある.存在価値の達成を「ゴール」とすれば,その実現方法は「ゴール」からの逆算である.これを「演繹」という.ふつうは,「一歩一歩確実に階段を登る」と考えるのだが,これでは「ゴール」が見えなくなるかもしれない.これを「帰納」という.

独自性(オリジナリティ)は演繹で追求せよ

お客様から選ばれ,さらに「選ばれつづける」ことができなくては,商売は成り立たない.初回に選ばれたのは,偶然かも知れない.しかし,二度目からは偶然ではなかろう.選ばれているのだ.三回目,四回目と,お客様の利用回数が増えることは,お客様の「利用体験」も積み重なる.お客様にとっては,回数はどうでもよく,記憶に残るのは「体験」だけだ.そして,お客様が「ファン」になってくれることを,「『ブランド』になった」という.これが,ご指名購入のメカニズムである.

物やサービスがあふれている現代,お客様から選ばれつづけて,「ブランド」になるのはたやすいことではない.しかし,どんな有名ブランドも,最初は誰もしらない商品だったのだ.

お客様の利用目的を質問して確認することは,たいへん重要なことだ.そこから,特有の「ゴール」をイメージして,ビジネスとして演繹することができるか,できないかが分かれ道である.

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