少数与党・枝野内閣

なかなかに興味深い発言である。

立憲民主党の枝野党首が、現政権に対して「禅譲」を呼びかけて、選挙管理内閣としての「枝野政権」を主張した。
これに、たいへんな反発をするひとたちと、苦笑しながら無視するひとたちが多数である。

たいへんな反発をするひとたちは、たいがいが「保守」を自認するひとたちで、「少数与党」ということの意味がわからん、といっている。
苦笑しながら無視するひとたちは、与党のひとたちで、自身の「多数」をもって、何をか言わんや、ということだろう。

しかし、素直にながめれば、ぜんぶの野党が「少数与党」になっているのは、「事実」である。
だから、けっして枝野氏の頭脳に異常はない。
むしろ、素直すぎて驚いてしまうのだ。

いい悪いの議論ではなく、わが国の政界も官界も、地方を基礎にピラミッド型の体系を形作っている。
市町村議員を底辺にして、都道府県議員がいて、さらに参議院議員、そして衆議院議員という構造になっている。

ほんとうは、参議院が「上院」で、衆議院が「下院」にあたるのだから、わが国の議会は、「上・下」が逆転しているという特徴がある。
「国会改革」をいうなら、議員定数や選挙区のはなしの前に、この「上・下」の正常化をしてほしいものだけど、そう思う国民の数が少数だから仕方がない。

何度も書いてきたけど、もう一つ、重要なことは、わが国に「近代政党」がないことである。
近代政党の要件とは、三つのすべてを充たすことにある。

・綱領
・組織
・議員

決定的に欠けているのが、「組織」だ。
先にいえば、犬猿の仲の「公明党」と「日本共産党」には、ここでいう「組織」があるといえばあるから、なんとかこの二党は、「近代政党らしき匂い」はある。

ただし、両党とも、組織運営にあたっての「民主主義」がない。
つまり、「政党内選挙」がなくて、なんだかわからないけど、「執行部」や「立候補者」が決まるという共通点もある。

すると、犬猿の仲の理由が明らかになる。
「似たもの同士」なのだ。
これに、支持層の共通もあるから、ヒトラーとスターリンのごとく、となるのである。

自民党の組織は、衆議院議員に当選した議員本人の「後援会」が組織といえるものなので、地元選挙区の衆議院議員を頂点に、市町村議員を手足に巻きこんだ「組織」が選挙戦を遂行することになっている。
だから、自民党本部にある、「組織運動本部」の仕事は、いわゆる「近代政党」のそれではない。

もちろん、自民党から立候補するひとは、自前で選挙をすることになっているけど、党のえらいひと(たとえば「幹事長」とか)に気に入られると、お金の支援が得られる。
しかし、地元に、党本部直結の党組織が「ない」ので、すべては「後援会」に依存する。

それで、党員という党費負担をするひともほぼいなくて、議員候補から頼まれて署名すると、党員になったことになる。
党費は、頼んだひとが負担する。
近代政党なら、自分から党費を払って党員になるので、党員それぞれが発言権を持つし、自分から組織要員に立候補もできる。

こうして、党員になる順番がちがうので、地元の党員集会も「ない」。

よって、候補者の選定に党員がかかわることも、ましてや「予備選挙」もないので、党員には関係なく「党公認候補」が決まる。
これは、市町村議員から、衆議院議員までぜんぶおなじ仕組みだから、自民党が近代政党になるという「要素がない」のである。

議員自身の「後援会」が、事実上「唯一の組織」だから、自民党のことを「自分党」というのである。

そんなわけで、地方の末端で変化が起きている。
それは、日本共産党との連携だ。
自民党と日本共産党が、地方議会で連携するというのは、ちょっと前なら「かんがえられない」ことだった。

たとえ「国政レベルではない」としても、上記のような構造があるので、国政か地方かという問題ではなく、むしろ、「足元」に異変がおきていると解した方がいい。
しょせんは、「砂上の楼閣」だから、いずれは国政レベルに波及する。

つまり、わが国の「全党」が、事実上の「翼賛体制」に突入したのである。
枝野氏のいう、「少数与党」とは、このことを指す。
だから、「枝野政権」という発想も、とくだん異常ではない。
この論法をもってすれば、「日本共産党政権」だってありうる。

ここに枝野氏が気づいているかどうかはわからないだけだ。
革マル派出身者の枝野氏からすれば、共産党への不信感のほうが、自民党への不信感より根深いのかもしれない。
いずれにせよ、そんな人物が、官房長官経験者なのである。

国民の多くが、かんがえもしない「少数与党・枝野内閣」は、少なくとも「少数与党」だけは、現実なのである。
基本政策での議論とは関係ない、花見やモリ・カケにしか至らないのは、基本政策に反対する余地がない、「与党」だと告白していたのだ。

これにだれも気づいてくれないから、とうとうはっきりものをいった、ということだ。

すると、共産党まで呑み込んだ、自民党という「怪物」をどうするのか?
ホッブスのいう、『リヴァイアサン』が、現代日本で現実になっている。
「日本」を喪失し、わるい意味で欧米化した「つけ」だとおもえば、因果応報なのである。

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