市長選にみる「佐賀の乱」

17日投開票される、佐賀市長選挙は6人が立候補した。
そのなかでの「異色」が、医師でもある細川博司氏だ。
本人が語る履歴は、臨床薬理(治験)で学位を取得し、公衆医学の助教になったけど、辞めたのは教授とケンカしたからだという。
国立大分医科大学卒業。

統計学の横浜市長より、よほどコロナの専門家である。

公約のトップに掲げているのは、「ワクチン中止、マスク着用の中止、消毒の中止」だ。
しかし、「異色」なのは、本人の演説もさることながら、力強い「応援演説」の数々にある。

「地元」より、「全国」から支援者がやって来て、それぞれが「熱い演説」を繰り広げている。
例によって、佐賀新聞は5人の候補と細川氏紹介の記事で「差別」をして、他の候補者の半分しかない写真を掲載もした。

支援者が新聞社に質問しても、誠意ある回答は得られない、という「事件」になった。
なお、全国の「地方紙」が、各県原則一社に限定されているのは、「国家総動員体制」が継続しているからである。

さて、「昔の政治家」は、皆演説に長けていた。
なかでも、「歴史的名演説」は、今聞いても(読んでも)「素晴らしい」に尽きる。
残念ながら、メディアが発達すると、政治家は総じて「演説下手」になった。

また、聴く側も、メディアの「印象操作」を受け入れたのだった。
日常が忙しくて、とてもじゃないが「演説会」に足を運べないし、全部を聞く悠長なことはしたくない。

これは、「卵と鶏論」になる。
何しろ、昔の演説会は、「寄席」とはいわないまでも、風刺が効いて面白かったからである。
もちろん、娯楽も少なかった。

あの、人生幸朗・生恵幸子による、「ぼやき漫才」は、昔の演説会のパロディにちがいない。

しかし、テレビの娯楽番組がはじまると、なぜか演説も面白くなくなった。
これに、「言葉狩り」も影響した。
占領軍がつくって命じた、「プレス・コード」を、占領軍がいなくなっても守ったばかりか「一層強化」したのだった。

そんなわけだから、昔の文学作品には、当時の「普段づかいの言葉」があって、これを復刻すると、「注意書き」で、「作品としてそのまま記載」とかの弁明を印刷して、面倒なクレームからの責任を回避している。

どうして占領軍が「プレス・コード」をつくって命令したのか?は、「聖教新聞」のコマーシャルが説明してくれている。
人間は、「言葉と生きていく」動物だからである。

聖書も、「はじめに言葉ありき」として、「光よ、輝き出よ」と神が言うと光がさっとさしてきました、とある。
神はきっとヘブル語(古代ヘブライ語)を話したにちがいない。
しかし、イスラムの神が、『コーラン』で指定したのはアラビア語だ。

すなわち、人間という動物が唯一持っている「言語」なくしては、文明も文化も、「ふつうの生活」すらあり得ないのである。
その人間がつくる社会を統制する、「政治」を行う者には、「言語」を扱う才がなければならないのは、古今東西の「当たり前」なのだ。

こうした根本的な意味でも、「演説」ができないものに政治家はつとまらない。
そこに「論理」立った「主張」が要求されるからである。

メディアへ依存することの「害悪」とは、政治家が演説をしないでよい、環境をメディアがつくったことによる。
いってみれば、メディアに政治が乗っ取られたのだ。
つまり、政治家は「論理」立った「主張」ではなくて、「知名度」だけが勝負になった。

これがいかほどの「不幸」を呼ぶか?
昨年のアメリカ大統領選挙をみれば明らかだ。
おかげで、石油が値上がりしてガソリンは3割以上(アメリカでは倍)も高くなった。

そんななかでトランプ氏のラリー(演説会)の「盛況」は、どんどんエスカレートしている。
共和党のなかでも、彼が嫌われたのは、伝統的な業界癒着を許さないで、「本当に」生活者のための「政策」を実施したからだった。

だから、業界癒着で利益を得るメディアは、トランプ氏の「排除」を画策し、成功させた。
これを、CNNは堂々と「自社報道の成果」だと自慢して、視聴者の信頼を失ったけど、わが国も同じ構造なのだ。

日本人が「佐賀」をどう見ているのか?と問えば、北部九州の長崎県と福岡県と一緒にしたら、「県境」の地図が描けない状態にあるはずだ。
では、「佐賀市」はどこにあるのか?

初代の神武天皇は、佐賀の生まれ、なのである。
それから、「東征」がはじまったことになっている。
「武士というは死ぬことと見つけたり」の一文で有名な、武士の教科書『葉隠』も、佐賀鍋島藩士が書いたものだ。

「日本」が破壊されて、神武天皇を知らない日本人が多数いる。
武士の心得を説いた『葉隠』だって、何のことか知らない日本人のおとなはいるのだ。
ならば、明治7年、最初の士族の反乱「佐賀の乱」も同じだろう。

今年6月末に、大久保利通が伊藤博文宛に書いた「書簡」が発見された。
大久保は新政府の内務卿として、鎮圧の先頭に立っていた。
そこで、「とにかく一打をたたきつけて朝権を示さなければ」との所感を綴っている。

しかして、2週間で敗北した乱の指導者は、元司法卿江藤新平と元秋田県令の島義勇で、両者はその後処刑された。
これを、新政府内の「内ゲバ」と位置づけるには難がある。
冷静にみれば、「反乱側の主張」だって筋が通っているのだ。

同様に、今回の佐賀市長選挙も、現代の「佐賀の乱」に相違ない。
自民推薦候補の「順当な」勝利は、「佐賀」をより社会主義に導くだろう。
衰退は止まらないことが確定した。

それにしても「乱」の成功は、どこまで堕ちたら市民が気づくのか?による。
すなわち、今回の「佐賀の乱」も、「反革命の失敗」に終わったということだ。

残念。

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