悲惨な「五公五民」

江戸時代の「五公五民」は、悲惨な重税だったと習う。

いまと違って、江戸時代は(同時期の産業革命前のヨーロッパもそうだが)、農業国だった。
人口構成の8割が農民で、この比率はそのまま明治に引き継がれた。
なお、武士と商人の人口比が、両者の中で相殺できるのは、金銭欠乏で商人から「苗字」と引き換えに金を得たからである。

江戸が天下の中心になったとき、地方から大量の人口流入があったことは知られている。
すると、農民がやってきた、としかあり得ない。
そしてそのひとたちは、都市計画に基づいた土木工事から建設工事の人足として働いたのである。

また、男性ばかりだったというから、「一代限り」という条件が自動的についていた。
いつの時代も、どんな国でも、労働供給の「源」は、農村なのである。

一口に「農民」と言っても、土地を所有する自作農と、小作人では話がちがう。
この「小作人」を指して、日本的「農奴」だという学説が「定説」になっている。

本稿では、このこと自体を議論しない。
元は、イエズス会の宣教師による「発見」であったけど。
それに、なんでもヨーロッパの歴史に日本の歴史を「おっかぶせる」ことの「安易」もあるけど。

「農奴」とは、「封建制」のロシアやヨーロッパの農民を指している。
このひとたちは、土地に縛りつけられていて、もしも土地所有の移転があったら、農奴も漏れなくついてきたのだ。
それで、身体だけの「奴隷」とは、区別する。

大震災以来「絆(きずな)」が、日本人の精神的支柱になったかのような「スローガン」が街にあふれたけど、同じ字に「し」をつけると、「絆し(ほだし)」になって、番犬のように首輪につながれている状態になる。

「社畜」とは、このことか?

ひるがえって、GHQがやった「農地解放」とは、「農奴解放」だったともいえる。
「先祖代々の土地」が、都会のひとには宅地になったけど、「出自」についてはむかしからの地元の住民が、今でも厳しく区別している。

あそこの「家」は、~だから、とか、やたら詳しいのだ。

これを、ぜんぜんわからなく「した」のが、ペストで全滅したヨーロッパの「村」で、生き残って「流民」のようになったひとたちが、家ごと、農地ごと住みついてしまった「歴史」があるから、ずっとむかしからここに住んでいるという「歴史」をつくった「歴史」がある。

徳川家康の有名な言葉に、「百姓は生かさず殺さず」がある。

どんな計算で、「五公五民=税率50%」としたのか?は、さておいて、これは「ひどい」と学校で繰り返し(小中高と3回)習うのである。
それに、「用語」として試験に出るから覚えるのは、あくまで「五公五民」であって、「税率50%」とは習わない。

ついでに、「六公四民」とかという、もっとひどい事例も先生は説明してくれる。

農民は、基本的に「米」という「現物」で納付しないといけなかった。
米は、作物であり、食糧である。
収量の半分が税ならば、残り半分が自由になるかと言えばそうではない。
その中から、来年植えるための「種」を確保しないといけないからだ。

すると、自分たちで食べる分はその残りか?
そうではなくて、これから生活必需品の購入代を捻出しないといけない。
大方のものは自作したり村内で物々交換したりするけれど、「どうしても」は必ずある。

そうやって、米を作りながら米を滅多に食べられない、ということになった。
部品を作りながら、その部品は「作るだけ」ということができる遠因かと思われる。

実は、日本人のほとんどは、米を食べてはいなかったのである。

米をふつうに食べていたのは、人口にすればわずかな比率のひとたちである。
こんななかで、「豪農」がいたのは、「網元」と同じ構造があったからである。

たとえば、捕虜収容所で、収容されたひとたちから「リーダー」を指名して、このひとたちに「監視」させるのが、支配者にはもっとも「効率がいい」方法なのだ。

さてそれで、いまは、「国民負担率」というものがある。
これは、税負担だけでなく、あらゆる「公共」への負担を足し込んで、平均収入と割り算したものだ。
「所得税」の計算方式とはちがうので注意したい。

「財務省のHP」にもあるけれど、「公共」に含まれないNHK受信料とかの「公共料金」があるし、「財政赤字を加えると」という、プロパガンダも表記している。
「財政赤字」は政府の負担であって、国民には「資産」だ。

そんな中途半端な数字だけど、「信頼ある」財務省が発表している「国民負担率」は以下のとおり。
令和元年度(実績)    44.4%
令和2年度(実績見込み) 46.1%
令和3年度(見通し)   44.3%

気がつけば、もう既に我が国は、「五公五民」の世の中になっている。

高齢化と出生数の減少は、「福祉」を支える若者層の激減もあって、その統計的将来予測は、「七公三民」という驚愕の数字を算出している。
財務省が、「財政赤字込み」にしているのは、いただけないけど、
令和2年度(実績見込み) 66.5%

おおむね、上段の「七公三民の予測」と合致する。

これでまともな生活ができるのか?
ただ、ここでいう「まとも」とは、昭和末期の「ふつう」を指す。

もしや、二度と「昭和のふつう」に戻れないかもしれない。
可処分所得が、せっかく稼いだ内の3割しかないまでに減ると、およそ経済をささえる「消費」を、したくともできない。
サラリーマンなら、容赦なく7割が自動引落で「源泉徴収」されてしまう。

政府には、奴隷制社会の理想的境地だ。

国民は、江戸時代の農民負担がうらやましいことになる。

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