成人としてのバイデン親子

長男が事故死してから、次男への溺愛となったのかそれとも最初からなのかはしらないけれども、バイデン氏と次男(ハンター氏)の関係は「たいへん仲の良い親子」であるようにみえる。

もちろん、わたしは日本国の一般人なので、アメリカの大統領一家の家族関係に詳しいわけではない。
しかし、「報道」されている情報を見るかぎりにおいては、上述した想像にいたるのである。

もちろん、バイデン氏とて「長く連邦上院議員」(1973年1月から2009年1月まで連続6期:36年)を務めたひとで、「政治家」だから、叩けばホコリが出るのは当然だ。
この間に、上院司法委員長や上院外交委員長などを歴任した重鎮でもだ。

もちろん、わが国と「議会」の役割がちがうアメリカでのことなので、「ちがい」についての予備知識がないと、以上の情報だけでもスルーしてしまう日本人がいるだろう。

このようなひとが日本人の「大半」なのは、学校で自国のことを詳細に教わらないから、外国との比較をするにも「基準」がないためだ。
もちろん、日本の学校の「公民」のことをいう。

むかし、日本人が教育熱心で、それがまた、いち早く近代文明国家に脱皮できた「素地」だったのは、江戸期から「読み書き算盤」ができないと、生活できなかったからである。
つまり、「就業」で支障があったのだ。

だから、6歳や7歳で出された「奉公先」でも、「大店」にもなれば、店として「読み書き算盤」を修得させたし、そんな大店へ口利きをしてもらうにも、「読み書き算盤」の素養を要求されたのだった。

この「読み書き算盤」の重要性は、どんなに子供でも「実感」できたから、およそ家業を継ぐのが義務だった農民の長男とか、職人の長男を除けば、また、都市部の町人ほど「痛感」していたのである。

それが明治期になって、学校制度ができると、地元の篤志家たちが私財を投じていまでいう「文化財級」の校舎を建てて、『坊っちゃん』のごとく、東京から優秀な教師を呼んだのだった。

だから、教育は「将来ある子供の生きるため」だったから、親たちの「義務」とした。
いまでは、「なんのため?」かが不明になって、おとなによる「管理のため」が強くなったので、「不登校」がふつうになった。

ところが、もう一つ、「親の子離れ」、「子供の親離れ」も不完全なままなので、「成人」の意味も「軽く」なったのである。
親からすればいくつになっても子供は子供、という「気持」はわかるけど、それが「社会」として「当然」になると、なんだか変になるのである。

たとえば、50歳を超えたおっさんが事件を起こして、その老いた親が健在ならば、「申し訳ない」と謝るのが親の役目になってもだれも批判しない。
しかし、「成人」したらいつまでも子供のはずはないのである。

この「区別」ができないのである。

さてそれで、バイデン氏と息子(ハンター氏)の関係が、ここで興味深いのだ。

大手マスコミも「本物」と認定した、ハンター氏が紛失したというパソコンから出てきた「犯罪」の「記録」とは別に、現職弁護士でもある彼の「犯罪」がスクープされて、いよいよ「逮捕間近?」という段階になってきた。

この期に及んでも、バイデン氏は「自身とは関係ない」として、大統領職におさまっている。
はたして、日本でこれができるのか?
たとえば、首相と息子の関係だったら?

まず、無理である。

しかも、バイデン氏自身も、副大統領時代の公務として訪問したウクライナで、ときの大統領に検事総長の解任を、米国の軍事援助と引換に要求して成就させたが、その後、ウクライナ検察から「指名手配」される顛末がある御仁なのである。

このとき、息子(ハンター氏)は、ウクライナの新興財閥(オルガルヒ)のなかで最大企業だったガス会社の取締役になっていて、当の検事総長は、この企業の「汚職」捜査指揮をとっていたのだった。

さらに、息子は、中国企業の「投資案件」にも関与していて、兆円単位の金が動いているけれど、その企業は人民解放軍のダミーで、事実上の共産党直営だということも判明している。

このときの、「手数料報酬」を、バイデン氏も得ていると、裁判での証言で登場した。

なんだかなぁ、の親子なのである。
しかし、親は親。息子は息子。という「成人」としての関係が優先されていて、この点で報道も「慎重」なのである。

ひるがえれば、なんだかなぁの親子関係を「美談」とするのは、かえって日本人の方なのに、バイデン氏とその息子の「スキャンダル」をぜんぜん報道しない。

日本人的には大好物の、格好の「えさ」となる「ニュース・ネタ」のはずなのに。
それがまた、日本における報道を信用しない理由なのである。

ただし、バイデン氏の就任日にした「大統領令」にあった、シェールオイル開発禁止やカナダからのパイプライン建設中止に端を発した、ガソリン高とインフレで、支持率の落ち込みも「歴史的」になったので、とうてい「再選」はおぼつかない。

これはこれで、自業自得であるけれど、おかげで世界が困り果てたから、その罪は日本人のわたしだって追及したくなるのである。

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