改正特措法45条2項の発動

東京都という地方政府が動いた。
緊急事態宣言による、知事権限の拡大があってのことである。

自分たちに「従わない」人間に、がまんができない。
つまり、事実上の「根拠なきいじめ」の、法的根拠を得たことによる、こんどは「行使をしたい誘惑」に負けたのだ。

アメリカでは、大統領選挙にまつわる訴訟に対して、先日、連邦最高裁判所がほとんどすべての訴えを「棄却した」ことがニュースになった。

なお、「棄却」とは、審理の結果として提訴に理由がないという理由をつけて退けることをいい、似て非なる「却下」とは、申立自体が不適法なので理由もなにもなく、いわゆる、「門前払い」のことをいう。

だから、連邦最高裁判所は、棄却の理由を開示したのだけれど、それがまた、みごとな「矛盾」にみちている。
・選挙中の訴えは、「選挙に影響をあたえる」として棄却した。
・選挙後の訴えは、「もう選挙は終わったから意味がない」として棄却したのだ。

ならば、いつならいいのか?

それに、この論法なら、窃盗だって殺人罪だって、「もう済んだことだから意味がない」になってしまう。
こんな「論法」が、おかしいことは素人にもわかるから、最高裁判事という「頂点」のひとたちがわからないはずがない。

これはいったいどうしたことか?
「三権分立」という、近代民主主義国家に不可欠の仕組みが、司法から「崩壊した」のを、外国人であるわたしも目撃したのだ。
もちろん、行政の側にある「捜査当局」も、捜査しない、という行為で司法を支えている。

三流の西部劇より荒っぽいことが、現実に起きている。
日本でいえば、『必殺シリーズ』の、「仕事人」も「仕掛け人」もいない、悲惨のままになっている。

壊れるときはあっという間だ。
アメリカ人は、これを再構築できるのか?
どのくらいの時間を要するのか?
あるいは、できない、となればどんなことになるのか?

年に1度の「保守政治行動会議2021=CPAC:Conservative Political Action Conference 2021」が、盛況の中2月28日までの4日間の日程を終了した。
最終日、トランプ氏の1時間半に及ぶ演説は、相変わらずエネルギッシュだった。

今後のアメリカ保守運動についての、「団結」を確認できたのが成果であろう。
ここで日本人として注意したいのは、「アメリカ保守運動」の意味である。

それは、「アメリカの伝統回帰」という意味で、人類最古のわれわれ王朝国家の歴史からみたら、厚みの薄いアメリカの伝統とは、人工国家である「アメリカの建国精神」をさす。
そして、その本質=核に、プロテスタントの信仰があることだ。

よって、トランプ御大の演説は、かならず「ミサ」の要素があると書いた。
このことは、アメリカ人の「心の支え」だということだから、日本人として「要チェック」なのである。

さて、「日米同盟」の一方のわが国では、コロナのための『改正特措法』成立という時点で、日本国憲法が壊れたから、ほぼ同時に日米共になかよく「体制崩壊」した。
これを、こんどは日本国民としてわたしは目撃したのだ。

つまり、壊れ方はちがうけど日米共に、無法地帯となった。
こうして「2021年」とは、人類史に刻まれることになったのである。

将来の歴史の試験に、でるよ。

わが国の場合は、憲法が無効化されたことからの、無法地帯なので、これはいよいよ「役人天国」の実現となる。
近代民主主義国家の、「民主主義」である根拠となるのが「憲法」(国民からの国家・政府への命令書)だからである。

ここは重要で、たまに論者でも間違ったことをいうひとがいる。
憲法によって国民が縛られる、という発言主旨は、論理矛盾である。
国民は憲法によってその行動を規定されることはない。
憲法遵守の対象は、全公務員だけなのだ。

さてそれで、日本人の核になるのはなにか?を問われて、アメリカ人の保守派のような「答え」を持っていないのが、現代日本の保守派なのである。

つまり、なにを「保守する」のかが、わからないひとたちが「保守」を自認し、保守を名乗っている。
なんと、価値観の共有がないのだ。
こうして、集団のようで集団でなく、個々バラバラのアトム化をしているのが、わが国の「保守」なのだ。

これを、「烏合の衆」という。

つまり、破壊度とか崩壊度でいえば、日本の保守派はアメリカのそれより、絶望的に深刻なのである。

よって、うねりのような運動とはならない。
それでもって、「機能化」したのである。
保守「っぽい」機能を追求していたら、「道徳」や「倫理」といった、誰にも「反対できない」共通の価値観に依存するしかない。

これで、「強制」が「正義」に転換できた。

「新型コロナ・ウィルス」そのものの存在が、いまだにだれも確認できていないけど、なんだかおそろしい病気になる「みたい」だ。
だれが決めたかしらないけれど、検査陽性=感染ということになって、「陽性者数」のことを「感染者=発症者」ということにした。

政治家は医者や科学者じゃないから、ここに疑問をはさむと叩かれるかもしれない。
医者や科学者出身の政治家だっているけれど、面倒だからいわない。
機能としてみれば、先に国民を叩けばいいのである。

アメリカ人の何割かは危機感をもっている。
日本人のどのくらいが、「やばい」とおもっているのだろうか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください