教育改革は「教育クーポン」から

「教育問題」が範囲を拡大して限界を超えたから、いまや「発散」してしまい、何が何だかわからなくなってきている。
風船が爆発したようなもので、収拾がつかない。

欧米では、「国家の役割」についての議論が旺盛で、とくに70年代から90年にかけて盛んだったのは、経済の悪化(不況とインフレが同時に起きる「スタグフレーション」)に悩まされ、中産階級の衰退が深刻になったからである。

当時のわが国は、こうした「先進国たち」を尻目に、成長を謳歌していたし、「世界一の教育大国」を自画自賛していた。
中曽根首相が、アメリカにおける教育の廃退的状況を笑ったことで、レーガン大統領との関係が微妙になったことも、自画自賛の結果であった。

政界でも俳優としても無名のレーガン氏が、現職のカーター大統領を破って地滑り的勝利をおさめたのは、カーター大統領が発足させた「連邦教育省」への批判だったといわれている。
日本では、テヘランの大使館占拠事件への対応のまずさということになってはいるけど。

つまり、アメリカ合衆国連邦政府には、カーター政権の前には、「教育省」という役所が「なかった」のである。

なぜに、アメリカ人は「連邦教育省」を嫌うのか?
その理由は、わが国の憲法にもコピーされていて、第89条がこれにあたる。
「公金その他の公の財産は,宗教上の組織若しくは団体の使用,便益若しくは維持のため,又は公の支配に属しない慈善,教育若しくは博愛の事業に対し,これを支出し,又はその利用に供してはならない」。

英国の清教徒(カルヴァン派プロテスタント)たちが、イングランド王兼スコットランド王ジェームズ1世による弾圧を恐れてメイフラワー号に乗り、新大陸に渡ったことを「建国」のはじまりとしているのがアメリカ合衆国の成り立ちである。

だから、「信仰の自由」について厳格なのがアメリカ人というひとたちだ。
わが国では、一向一揆の果て、徳川家康による本願寺東西分裂の画策が成功し、さらに、島原の乱を制圧してこのかた、「信仰の自由」を厳密にかんがえないようになって400年あまりが経過している。

そんなわけで、子どもでも憲法に違和感をもつのは、第18条の「奴隷」とならんで、この89条なのである。
それは、日本国の成り立ちを無視した、アメリカの事情がプンプン臭うからである。

しかし、国家として、社会として、信仰というものの自由を認めるということは、ものすごい決心なのである。
それは、知の伝統「リベラルアーツ(自由7科)」の構造をみればよくわかる。
これらをとりまとめるのがこの上の「哲学」で、さらに最上位に「神学」がある。

つまり、神への信仰あっての自由なのである。信仰の自由こそ、すべての自由の源泉なのだ。
したがって、子どもに受けさせる教育も、信仰による選択の自由が保障されなければならない、とアメリカ人はかんがえている。

だから、国家の介入を嫌うばかりか「拒否する」のである。
そうしないと、簡単に自由を失うからである。
そのために、「公金」だって受け取らないぞ、ということで、まさに悪魔のささやきを拒否するという態度を、思わず日本国憲法にも書いたのである。

しかし、こうしたアメリカ人の常識が通じないのが、日本国・日本国民なのである。
それで、私学助成という公金の支出については、内閣法制局も最高裁も、私学といえども「公の支配に属している」ということで、「合憲」としているのだ。

このときの「公の支配」とは、簡単にいえば「文部科学省の支配」ということである。
つまるところ、アメリカ人が想定した真逆の現象を、「これでよし」とし、「自由の喪失」についてはかんがえない家康以来400年の伝統が生きている。

だから、「教育の自由化」の意味が、「中高一貫」とか、私学の「学費無償化」の方向に行く。
本来あるべきはずの、質的向上すら、授業の質的向上ではなくて、あたらしい教科の導入になってしまうのだ。

それもこれも、文部科学省の支配の強化が目的で、自由のさらなる喪失をだれも気にしないことが基礎にあるのだけれども、憲法違反にならないようにするという本末転倒がまず最初にあることが重要なのだ。

どうせ私学に行かせても学費が無料になるなら、公立学校を私学化させればよい。
教育クーポンを子ども宛に発行して、好きな学校選択という手もある。
人気校は、抽選でよい。

すると、実績と気概のある私学が、高額の授業料をとって、文科省の支配から離脱するかもしれない。助成金をもらわないと、経営が成り立たないようにしたから、値上げしないといけないはずだ。
これを「格差助長」というなかれ。
いまだって、高額の授業料をとっているのだ。

それよりも、自由を取り戻す学校ができることが、よほど国民福祉に合致する。
「学歴」の意味が急速に失われている現代社会にあって、「卒」よりも「スキル」が重視されている。

学問研究のための大学と、スキル付与のための教育機関に分離するゆえんがここにある。

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