新政権に真っ先に期待すること

新政権の最初の大仕事は、新型インフルエンザ等対策特別措置法での指定から「新型コロナウイルス」を真っ先に「解除」することである。
春先に、慌てて「指定」したのは、どんな病気なのかよく分からない状態だったのだから、仕方がないといえば仕方がなかった。

安倍氏はわが国を「道義国家」と呼んでいた。
「道義」とは、やさしくいえば、「道徳」のことである。
つまり、道義国家とは、世界に道徳性で優る国という意味であり、この分野でのリーダーとなることをいいたかったはずである。

すると、第一に、国内において、新型コロナウイルスが原因だとされている病気とは、いったい何なのか?
という基本について、あまりにも説明不足が政府にもある。
これにマスコミが扇動的な「報道」を仕掛けたので、まったく収拾がつかなくなった。

緊急事態宣言を出したのは「仕方ない」としても、解除の基準をいわない。
だから、解除自体が、政府・官僚・政治家の恣意的な判断だと国民は受けとめたのである。
これに乗じたのは、ポピュリズム政治家である知事たちで、勝手な「政治判断」がまかり通ることを許した。

PCR検査というものに、いつの間にか「全面的信頼」をするようになって、「診断」という医師の最大存在理由が冒された。
このブログでは、このことを「医療崩壊」と呼んだ。
しかも、医師会はこの崩壊に抵抗しなかった。

「利権」というカビ菌のようなものが、どんどん内部に浸透して、とうとう一般国民にまで届いてしまった。
これを、「脳が冒されるウィルス」と表現するひともいる。
つまるところ、「疑心暗鬼」である。

科学的知見とただの利権が交差して、とうとうこれを、「分離」できない世の中になったのである。
それで、検査をどんどん増やしたら、陽性者もどんどん増えた。
ふつうは、分母と分子の割合を気にするはずが、「陽性者の実数しか」いわない。

これをもって「第二波がきた」といって、政府に二度目の緊急事態宣言を出させようと意図したのは、「破壊活動」である。
政府はこれをしなかった、けれども、例によって「根拠」に関する科学的知見をいわないで官僚出身の大臣が「いまは宣言を出すような事態ではない」とまるで恣意的に繰り返したから説得力がない。

こうして、「納得できない」というひとたちも、陽性者の実数しか繰り返さないので、議論は平行線をたどる。
しかし、平行線をたどるようにしているのだから、そうみえるだけである。
厄介なのは、煽る側の根拠が「数字(実数)」だから、毎日これを見聞きすれば、すっかり洗脳されて政府を怪しむようになるのである。

民主主義は、政府を怪しむのを是とするのではあるが、扇動された結果なら、これはまずい。
その扇動者が、ほぼ全部のマスコミになったのが、今回の騒動でわかったことである。

新総理になることが決まった、いまの官房長官は、記者会見における特定の記者とのバトルが有名になった。
この記者を描いたという映画『新聞記者』が、2019年の日本アカデミー賞最優秀作品賞になっている。

なんだか噴飯物の作品がここまでおだてられると、しらけるものだけど、他にこれといった作品がなかった、ということなのか?
だったら、「該当作品なし」という選択肢もありそうなものである。

けれども、こうした特定の思想をもった記者(実際は活動家)との不毛なバトルに、耐えた、ということが、派閥をもたない政治家を総理にさせたのであろう。
大手新聞社が活動家を正社員の「記者」にしていることも、バレている。

困ったことに、わが国のマスコミは、それでも「公正中立」を言い張るので、国民の思考の軸がズレるのである。
これをふつう、プロパガンダという。
一定の政治思想に寄せる役割が、新聞社やマスコミの存在意義になっていて、これも利権にもなっている。

結局のところ、科学も道議も利権にさらされて、混沌としたのがいまの状態である。

ひとつの内閣でこれを払拭することはできないので、そんな期待はしていない。
しかも、与党がなにか変わることもないだろう。

ならば、やっぱり、コロナを指定解除することだけでもやってほしい。
どうせ、科学的根拠なんて問題にならないのだから。
この一点だけ、それで、たとえ一ヶ月で政権崩壊しても、歴史に残る業績の内閣になることは間違いない。

これこそが、道義国家のことで、安倍政権が口先だけで果たせなかったことの「継続」なのである。

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