新聞がこない平穏な正月

字を覚えてから、はじめてわが家に新聞がこない体験をしている正月である。
契約していても、ほとんど読んでいなかったから、べつだんどうということもないのだけれど、野菜を包むのに困るからと、「紙」として保存している。

もちろん、電子版も契約していたけれど、こちらもほとんど読んでいなかったので、やっぱりどうということもない。
ただし、クリップしていた記事も読めなくなったので、Evernoteに保存していたことが役に立っている。

新規でEvernoteに保存もしなくなるけど、大勢に影響はないかとおもわれる。
「無料会員」でも、月間2本までは記事を読めるそうだから、これだけあれば十分ではないか?

それほどに、ほとんどの記事の価値がないからだ。

おおくのひとが、新聞社の「余命」についてコメントしていて、だいたいあと10年位を目安に、終わる、と予想されている。
一般紙の方では、記者が配置転換でグループ企業の事務職になっているそうだ。
これをみて、新入社員の応募がないのも、余命の換算につかわれている。

記事の卸業者である、共同通信や時事通信ではどうなっているかが発表されていないので不明だし、自前で情報をとる大勢があるNHKも、内部事情はよくわからない。

物品の流通では、卸業者(いわゆる問屋)が、その役割を失いだして、ネット系に奪われた感があるけど、ニュース記事の問屋である通信社は、購入先の新聞社がなくなると販売先がなくなるのでどうするのか?

記事あたりの料金を下げるのか?あるいは、品質にあたる記事の信憑性を高めるのか?しかないけれど、後者はできない相談なので、もろともに沈没する覚悟なのだろう。

民間テレビ局はどこも、親会社が新聞社なので、親がコケたら子もコケる構造から逃れられない。
地方紙は地銀とおなじで、大合併とかしないと当面はいけないけれど、おカネじゃなくて地元情報が商品だから、合併を躊躇して余命を短くしている。

そうなると、生き残るのはNHKだけになる。

もしや、県庁所在地ごとにあるNHKの支局が、地方新聞社を買収して、ローカルテレビを複数チャンネルもつようになるのかもしれない。
さすれば、NHKが映らないテレビを買う意味も失う。
ただ、それで視聴者たる国民が満足するかどうかはしらない。

社会学者がどんなテーで仕事をしているのか?も、国からの研究費に依存させられて久しい。
なので、新聞社の余命について、社会的な問題としていうひとが少ない。

それなりに高度な文明社会を生きるには、第一に識字率を上げるための教育が必要だということは誰にでもわかる。

これが、欧米に倣った明治からの学校教育の普及が急速だったというファンタジーになっているけど、江戸時代の寺子屋の普及こそが世界に誇れる識字率を確保していたのである。

しかも、賢明なことに江戸幕府は、教育庁を置かないで民間での教育をやらせていた。
浪人対策もあっただろうけど、その大方針が「読み書き算盤」だったのは、同時代の欧米からしらしたら驚嘆に値することを庶民が自主的にやっていた。

これだけでなく、支配層となる武士には、朱子学を奨励して幕閣だけでなく各藩ともこれに倣ったから、四書五経を解さない武士はいなかったのである。
それで、江戸も後期なれば、有力農民でも四書五経を率先して学んで、次の時代に備えていたのである。

それゆえに、じつは知識人はもとより、一般人も、それなりの教養があった。

このレベルは、現代の知識人をおそらくゆうに超える程だから、いま知識人とよばれているひとたちの知識は、むかしの庶民が鼻で笑う程度にすぎないとかんがえるほうが妥当だ。

なので、新聞が発刊されても、これを「聞屋」と「売文」の「文屋」とかけて、比較的蔑まれた職業が「新聞記者」というものだった。

いまのひとは、「学歴」に頼ってひとの能力を天秤に掛けるような乱暴をするけれど、むかしの庶民は人生の早くから働いて、余暇に和歌や俳句をたしなんで、世界文学全集を読むほど自己研鑽に余念がなかったので、学歴だけでは役に立たなかった。

そうやってみると、むかしよりはるかに高度で複雑な情報社会に生きるしかないのに、情報が偏ることの身の危険に気がつかないのは、まちがいなく「退化」である。

だから、偏向を旨とする新聞社が余命を迎えるのは、需要と供給の原理からすれば当然のなりゆきにすぎないけれど、それでもって、ハッピーになれるわけではない。

かえって、邪悪なNHKが情報独戦企業体になってしまえば、もっとひどいことになる。

だれであろうが、Twitter社の大変化をみたら、倒産間近になった新聞社を買いたたいて、それでもってちゃんとした報道機関にすることができないといけないのである。

敗戦後、GHQは内務官僚だった正力松太郎に、経営が傾いていた読売新聞を買わせて、その後CIAのコントロール下において日本人の洗脳機関とした。
ならば、その逆を誰がやるのか?という問題になっている。

個人的希望をいえば、もうトヨタ自動車しかないのでは?とおもうのである。

そうなったら、購読契約をするかもしれない。
それまでは、とにかく新聞がない平穏を楽しみたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください