新聞の「脱炭素」キャンペーン

ほらほら、やっぱりはじまった。
予想どおりの展開である。
コロナに飽きてきたら、次は地球環境だという「話題の転換」は、これでも「売文」のためのれっきとした「戦略」なのである。

しかも、日本経済が本格的に行き詰まってくるのは、これから、なのだ。
前代未聞の人為による「計画不況」が、津波のようにやってくる。
政府は、「貧困ビジネス」の大家となった。

企業が従業員雇用を「首の皮一枚」でつないでいた、「雇用調整助成金」がいよいよ終わる。
この「夏」は、いまさらながらの「戦後最悪」という「大見出し」が紙面を踊るにちがいない。

マスコミによる痛恨の戦略ミスは、コロナで社会を脅迫しても「科学」による「エビデンス」で、社会の自浄作用があると無責任にもかんがえたことであろう。
「思わぬこと」に、社会がマスコミの脅迫にあっさりと「屈して」しまった。

半分冗談で、その道の「専門家」なる「ポンコツ」をテレビに出したら、コメディアンが司会をやることの「冗談半分」なのに、真に受けてしまった。
嘘みたいに真に受けたのが「政治家」だったのは、まさに「ポピュリズム」全盛時代なのを忘れた、企画ミスだったのだ。

しかし、おそらく「現場」は、「受けた」ことに気を良くして、さらに「恐怖」をエスカレートさせた。
視聴率がとれる、と判断したからだろう。
しかし、視聴率をとったのは、高齢者世帯「だけ」だった。

この「数字の読み方」の間違いに、広告をとってくる「営業部隊」が腰を引いたので、もともとが他力本願だけの「無責任」だった経営幹部たちが、指揮を放棄したのだろう。
いや、おそらくは「勢いにまかせる」という無責任を果たしたにちがいない。

そんなわけで、広告を出す広告主がいなくなった。
テレビのわかりやすさは、「ゴールデン」の看板番組に「AC(公共広告機構)」のCMが入ることだ。
その「枠」におカネになる企業広告が「取れなかった」という告白になっている。

親会社の新聞は、もっと深刻な「部数減」に見舞われている。
新聞に印刷される「広告」も、地域の新聞配達店が入れる「チラシ」も、その代価の根拠は、「発行部数」で決まる。
たくさん発行している新聞は、広告入稿費も高いのだ。

それで、部数を水増しするために新聞社が考案した、「詐欺(的)手法」が「押し紙」である。
これは、新聞社が新聞配達店に、強制的に購入させるので「押し売り」ということからの語源である。

つまるところ、わが国の新聞社は総じて「押売新聞」という名称で差し支えない共通点があった。
問題発覚によって、一部新聞社は、「押し紙制度」の廃止を表明した。

世の中の面白さは、「押し紙」が「流通する」ということだ。

新聞社から届いても、宅配する先がないのが「押し紙」だから、受け取る側には最初から「ゴミ」である。
でも、ちゃんと「束」で届くので、開封することなくそのまま「紙」として販売するのである。

「古紙」なのだが、再生紙の原料としての「古紙」ではない。
ペット用の「トイレ敷紙」としての、需要があるのだ。
あるいは、通信販売の梱包にあたっての「クッション材」として「売れる」のである。

まさに、購入するひとも、また販売する側の新聞配達店も、「新聞紙」にある、「情報」には目もくれない。
ただの「安い紙」としての価値しかない。

それで、インクもいらないという需要もあって、「無地」ならぬ「無字」の「新聞紙」も売れている。
ただしこちらは、新聞配達店からではなくて、「紙屋」からの販売である。

そんなわけで、新聞は「脱炭素」がビジネス・モデルとしてできていない「業界」だ。
新聞配達店には、夜中にトラックが「炭素排出」しながら運んでいる。
ならば、「ネット配信」とはならない。

そもそも、「読む価値」がないから「売れない」のだ。
自分たちのことは棚に上げて、なにが「脱炭素」なものか。

世の中の発展には、「効率化」という大テーマがある。
これは、投入した資源に対して、得られる資源の増えたことの割合をいう。

人類がめざしてきた「効率化」を、真っ向否定した「革命」が「ケインズ革命」であった。
なんでもいいから「有効需要」を作り出しさえすれば、景気はよくなる。

それで、ケインズは労働者に穴を掘らせて、適当なところでこれを「埋め戻」せば、支払賃金分以上の有効需要がうまれて、景気はよくなる、と。
どうして支払賃金分以上になるかといえば、安定した賃金を得られれば、借金も可能だからである。

しかしながら、これには「政府の(財政支出という)介入」がひつようである。
使いつづけると「麻薬」のように機能するのだ。
すなわち「中毒化」して、あげくに政府機能が「肥大化」するのだ。

したがって、ケインズは本人が意図せずとも、事実上の「社会主義政策」を立案したのだった。
「マルクス経済学」とは、絵空事の意味なしフレーズの羅列だけど、ケインズは「効く」から、一世を風靡した。

そんなわけで、社会主義や共産主義の信奉者たちは、ケインズがだいすきなのである。
それが、「史上最大の無駄」をうながす「脱炭素」に集約できる。

社内で「効率化」をいうものたちが、「脱炭素は儲かる」とかんがえる。
どうして儲かるのか?といえば、政府の補助金がつくからである。
ただし、太陽光発電の「詐欺的」補助金のように、決して「永遠」に補助金はもらえず、政府役人の胸先三寸でおもちゃにされる。

記事を書いても補助金はつかないから、新聞社は衰退する。
社会のコスト増での増税やらで、読者が新聞を購読するための、経済力を奪うからである。
だから、新聞社はコロナでも地球環境でも、なにを書いても衰退する。

「脱炭素」の関係者には、精神鑑定をした方がいい。

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