正義の密告サイト

新型コロナウイルスの感染で世間が意気消沈するなか、4月1日に施行された「改正健康増進法」もその怪しさを「ひそめて」いる。

「公益社団法人」という姿で活動している、「禁煙ファシズム団体」がある。
かつてわたしは、喫煙者であったことは何度か表明している。
いまはすっかり「愛煙家」から卒業したが、なんであれ「ファシズム」はいただけない。

そんなわけで、「公益社団法人 受動喫煙撲滅機構」という組織の存在が、気持ち悪くて仕方がない。
これは、「正義」をかんがえさせる問題なので、別の意見があるのを承知で書いておこうかとおもう。

そもそも、公益社団法人という法人格をもった団体である。
「公益」というのは、不特定かつ多数者(=一般人)の利益をさす。
「社団」というのは、非営利団体という意味で、もし活動から利益が出たばあいには、活動の継続資金か内部留保にしかできないので、ふつうの会社のように、給料とは別に利益を従業員に分配してもいけないというしばりがある。

設立には、二段階あって、まずは「一般社団法人」をつくり、その後に「公益認定」を申請し、これが通らないとなれない。
申請先は二つあって、内閣総理大臣または都道府県である。

このあたり、不動産業や建設業の許可申請に似ている。
つまり、複数の都道府県にまたがって事務所があったり活動をするばあいや、国の事務などに関係して政令で定めるならば、大臣への申請となり、それ以外は都道府県という構造になっているからだ。

法的な根拠としては、2008年施行の「公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律」である。
なので、この法律施行前までは、「一般」と「公益」の区別はなかった。

ならばなぜ区別するようにしたのか?
それは、役人の「天下り問題」として、「公益法人制度改革」という「改革」がおこなわれて、「主務官庁」とか、「許可主義」が廃止されて、「設立」と「認定」をわけることにしたという名分があるからである。

なんだか「姑息」な「改革」なのである。

それでも認定をうけて「公益」になりたいのは、税務上優遇されるからである。

だれかれにでも税務上の優遇をしたくない官庁である財務省がなにかいったのかはしらないが、上の「認定等の法律」には、対象となる事業を23分野として定めている。(「別表」第二条関係を参照)
つまり、わが国における「公益の定義」が「法律」できまっているということだ。

ということで、懸案の「公益社団法人 受動喫煙撲滅機構」は、きっとこの中の、22にある「一般消費者の利益の擁護又は増進を目的とする事業」にあたるのだろう。

そこで、この機構のHPをみてみると、理事長は税理士だった。
やっぱり、優遇を受けるから、税務会計が面倒くさくなるような設計をしていじめる財務省のいやがらせには、優秀な税理士でないと数字がわからなくなるのだろう。

ふたりいる理事には、元神奈川県知事にして当時全国初の受動喫煙防止条例を任期中につくって辞めた、松沢成文参議院議員がいる。
もうひとりは、一日100本を吸っていたというヘビースモーカーだったひとが、環境保護運動家として活動するのに「禁煙」し、すっかり禁煙ファシストに変身したとおもわれる渡辺文学氏である。

HP上では、「事業内容・計画」のトップが、「事業活動方針」となっている。
なかなか「過激」なので、下に冒頭から一部を抜粋する。

『受動喫煙は、誰かが「禁煙」と定めた場所以外は「喫煙は自由」という社会的共通認識を踏まえ、人にタバコを拒否する権利を与えない場の中で日々営まれている。
本社団はこうした現実を直視し、敢えて一切の受動喫煙を撲滅するという強い決意で活動を進める。(以下略)』

「敢えて一切の、、、、、を撲滅する」とは、なかなか勇ましい表現だ。
しかし、気になるのは、前提としての現状認識から「意図的」であることだ。

いまは、「喫煙所」と定めた場所以外は「禁煙」なのである。

中学校の数学でならう「集合」における、「部分集合」のいいかたがまちがっている。
優秀な税理士のはずの理事長が、これをしらないはずがないから「意図的」だといえる。

このHPのユニークな点は、「ニュース・コラム」というタグがたっていて、これをみると、さまざまな記事が紹介されている。
そこで、たとえば東京都なら、「飲食店ステッカー」を表示していない店舗をみつけたら、「通報しましょう」という。

そして、「コメント欄」には、電話による通報ではなくSNSによる通報を求める意見が書き込まれている。

つまり、みんなで「密告」しよう、というのだ。

いったい、どんな社会にしたいのか?
このひとたちは、「受動喫煙」をいいながら、たんに強制的な「禁煙」を要求しているのだ。

なんども紹介するが、下記の『健康帝国ナチス』すら、一部でナチスを肯定している記述がある。それが「禁煙」だ。
はたしてそうか?

「全体主義」は、かならず社会主義者がおこなう。
自由主義者は、これを拒否するのが当然だからだ。

「たかがタバコ」ではないのである。蟻の一穴になりかねない。

改正法ができたから、嫌煙者は喫煙所に近づかなければよい。
それが「潔癖症」を発症すると、全体主義に変換されて、おそろしい社会になってしまうのは、100年前のドイツで経験済みだ。

いま、新型コロナウイルスで、その「潔癖症」を発症していないか?と、冷静な自己チェックがひつようだ。
「社会的『同調圧力』」というのが、全体主義のおそろしさの原動力だからだ。

それがいま、「マスク着用」になって社会現象化していないか?
「敢えて一切の、マスクを着用しない者を撲滅する」と。
ウィルスになんの役にも立たない材質のものはかえって危険だと承知でも、着用しないと会議に出席すらできない。

さては、かくも「危険」な団体が「公益」とは笑止である。
表層の安逸な「制度改革」がなす、失敗のひとつである。
改正法が施行されたので、もうこの組織の存在理由はなくなった。
しかし、「解散」させる仕組みがない。

一直線に「肥大化」するようになっている。

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