「大統領弾劾」によって、過去弾劾(=解任)されたアメリカ合衆国大統領はいない。
「訴追」ということで、トランプ氏は史上3人目の大統領となり、「在任中2度」というのが史上初なのは確かである。
しかしながら、「訴追」は、ふつうの裁判でいう「起訴」であって、「解任判決」がでたわけではない。
判決を下す「裁判」自体は、連邦上院の仕事だ。
トランプ氏への「訴追」だけでも問題なのは、どちらも「冤罪=でっちあげ」が「確定」しているからである。
最初が、当選後で政権発足前の「ロシア疑惑」⇒「ウクライナ疑惑」。
二度目が、「連邦議事堂襲撃幇助」。
最初の疑惑は、特別検察官による調査を経て、「どこにも証拠がみつからない」という発表をもって終結した。
今年6日の議事堂事件は、選挙中、明らかに民主党という「党派より」を見せつけたFBIですら、すでに議会へ「関与はない」と報告書を提出している。
むしろこの報告書は、議事堂への乱入を計画し実行したのが、民主党系の過激派だったことを明記しているので、このまま弾劾を強弁すれば、ふたたびの「でっちあげ」となって、憲政史上の汚点となる。
それでも、「与党」が強行するのは、たちが悪い。
狙いは、弾劾された大統領は、ふたたび公職に就任できないルールの適用だといわれている。
しかして、もはや私人となった人物を弾劾する意味はあるのか?
ウォーターゲート事件で「辞任」したニクソン氏は、弾劾される前に辞任して、結局は「弾劾訴追」もされなかった「前例」となっている。
なぜなら、弾劾とはそもそも、「解任」のことだから、辞めたひとを訴追する意味がないからである。
そんなわけで、大統領弾劾が、なんだか「軽くなった」のである。
例によって、一方的報道(もはや「偏向」でもない)しかしなくなった、世界のメディアは、共和党で新人(今回のアメリカ大統領選挙と同時に実施された下院総選挙で初当選した)が、バイデン氏の弾劾を提案すると明言していることも報道しない。
もちろん、下院で過半数を上回る議席数にあるのは民主党だから、ふつうにかんがえれば、「通るはずのない」弾劾訴追なのである。
けれども、その「理由」が問題なのだ。
つまり、ぜんぜん「でっちあげ」ではなくて、むしろ、国民もしる「事実」だからである。
・第一に、ちょっと前までなら、トランプ氏に対する「ウクライナ疑惑」といっていたけれど、当事者のウクライナ政府が、バイデン親子をすでに刑事犯として「指名手配」しているのである。
アメリカ合衆国大統領に就任した(といわれている)ひとが、外国から刑事犯にされていて、しかも、その証拠がそろっているから、「でっちあげ」ではないどころか、「副大統領の職権濫用」について、なんと当時の本人がカメラの前で「認めている」のだ。正確には、自己の権力を自慢している。
ちなみに、就任したと「いわれている」のは、ライブの就任式のはずが6時間も前にスペインで放映され、その画像のなかの天気が「晴れ」で、しかも「影の方向と長さ」が非現実的だと指摘がある。
当日のワシントンD.C.は「濃い曇り」だったのだ。
なお、ホワイトハウスは、ネットでの「就任式ライブ動画」の配信を、「登録者限定」として、一般人への公開をしていない。
「登録者」とは、ホワイトハウスが認定した、民主党支持という身元がわかるひと、のことという「前代未聞」がある。
・第二は、上の「証拠」に関連する、子息の「犯罪」の詳細で、これには外国政府からの資金提供まであるし、証人もいるのある。
すなわち、バイデン氏に「大統領候補」としての「被選挙権」がない、という問題提起だ。
本来なら、政権が吹っ飛ぶはなしだ。
報道されないからといって、この提案が無視されるものではない。
トランプ氏に投じた、(おそらく)8000万以上ものアメリカ人有権者は、この展開を見つめていることが重要な事実なのである。
いかに民主党員の議員でも、2年後の選挙にどうやって当選するのか?は、重大な関心事である。
アメリカは、下院議員の任期は2年しかない。
くわえて、同数になった上院も、やっぱり2年で1/3が入れ替え選挙になるのである。
それで、バイデン氏の「被選挙権資格」を、ほんとうに強弁できるのか?
離任にあたってのトランプ氏の演説では、「何らかの形で、すぐにワシントンD.C. に帰ってくるよ」といっていた。
フロリダに「帰省した」トランプ氏は、さっそく自分が所有するゴルフ場でプレーを楽しんでいる。
一方で滑稽なのは、フロリダ州の住民たちが「お帰りなさい」とトランプ一家を沿道で出迎えたのを、「数十人」と報じたことである。
ネットでの投稿動画を観れば、だれにでも確認できる「群衆」に、感動すらおぼえるだろう。
沿道で車列を待っているひとが、いよいよの到着を前に、「Our President」と子どもに諭すような声でつぶやいたのが聞こえる動画もある。
「ほらごらん、わたしたちの大統領だよ」。
就任式前日の、バイデン氏壮行会に集まった「群衆」は、25人だった。
それでも「群衆」と報道するのを、呆れないものはいない。
数千人を数十人にしたって、その場にいた人々には、「事実とウソ」の区別ぐらいできる。
こうやって、誰も見向きもしないようにする報道の行為が、正義だと自己陶酔するなら、まもなくその「酔い」から醒めても、頭痛しかやってこないだろう。
報道されようがされまいが、「大統領弾劾」が、二人に同時におこなわれる時代がやってきた。