洋犬と和犬は同じ犬ではない

外国からやってきた犬を、「洋犬」といい、わが国古来の犬を、「和犬」という。

洋犬はさまざまな犬種が認定されているけど、元は「猟犬」が多い。
これらを、「軍用犬」や「警察犬」、はたまた「盲導犬」などの役務犬にするべく改良してきた歴史があるのはご存じのとおりだ。

一方で、和犬は基本的にすべて、「猟犬」として人間と共存してきた。
なかには、土佐犬や秋田犬のように「闘犬」に仕立てた犬種もいるけど、元は猟犬で、その他もやっぱり猟犬である。
もっとも小型の和犬、「柴犬」のDNAを調べたら、世界の犬でもっともオオカミに近い「原始的な犬」であることが確認された。

そんなわけで、プロには柴犬の飼育は困難でしられ、およそ「愛玩犬」にもっとも遠い犬種ではあるけれど、なぜか日本では普及度が高いので、あんがいとふつうの家に、しかも室内犬として飼われている。
ただし、人間の生活側から見た「問題行動」が多いので、双方の不幸が懸念される犬種でもある。

一般に、和犬よりも洋犬の方がずっと「飼いやすい」と評価されている。
このことは、躾しやすい、という意味でもある。
犬と人間とについては、何度も書いたけど、そもそもが、信頼関係と主従関係が重要なのは、洋犬であろうが和犬であろうがおなじだ。

しかし、人間生活における変化で、「愛玩犬」という使役犬の需要が、猟犬や番犬の需要より高くなってきた。
つまり、人間の仕事を補助する、という役目から、人間の心を癒やす、という役目に、人間の要求が変わったのである。

本来、犬側にとっては、こんな人間の一方的な要求の変化はお構いなしのはずだけど、犬という動物を万年単位で支配してきた人間だから、強制的なる遺伝操作によって、人間に従順な個体だけを選んで繁殖させることを繰り返す「努力」をした。

もちろん、この努力は続いているけど、その成果がいま各家庭にいる「飼い犬=愛玩犬」となっていることは間違いなく、さらに、そのほとんどが「洋犬」なのである。

しかし、そうはいっても、ロボットではない生体だから、飼い慣らせない飼い主がたくさんいて、いったん噛みつきや吠えの癖をつけたら、「癒やし」どころかストレスの毎日がやってくる。
人間にとっての「破壊行動」もおなじだ。

それで、世にいう「ドッグ・トレーナー」という職業人に、頼る、という飼い主が絶えないばかりか増えている。
ドッグ・トレーナーというプロに聞けば、やっぱり「柴犬」を敬遠するのは、成果がでにくいので手間の割に料金を請求できないからだともいう。

すると、それ以外の犬種は?といえば、洋犬なら「楽」というこたえがある。
また、一方で和犬なら「柴犬」ばかりが話題になるのは、その他の和犬、たとえば甲斐犬とか紀州犬とかを「室内愛玩犬」として、さすがに飼おうというひとがいないからである。

以上の話は、別の角度からみると、洋犬と和犬のちがいのようでいて、じつは「人間のちがい」をあらわしている。
それは、どちらも「猟犬」というタイプの使役犬ではあるのに、「猟のやり方」がちがうからなのだ。

ヨーロッパ諸国が原種の洋犬が仕込まれた猟とは、基本的に猟師が仕留めた獲物をくわえて持ち帰る、あるいは、猟師の指令で獲物を追いつめる、という仕事を担当する。
「回収する」という意味の英語「retrieve」から、「レトリバー」という名の犬を作ったのが典型例だ。

一方で、日本独自種の和犬をつかった猟のやり方は、山に犬を放って、犬が勝手に駆け巡りながら獲物を見つけ、これを猟師のいる方向へと追いこんだり、獲物を足止めさせるために噛みついて、吠えることで場所を知らせる仕事を担当する。
つまり、犬が猟師にとどめを「刺させる」のだ。

こうしてみればわかるとおり、洋犬は徹底的に人間の命令に従うようになっているし、和犬は見方によっては、人間が犬に使われているともいえる。

最近の洋犬は、首輪にGPSをつけて猟をするけど、これにスピーカーもつけて、猟師が鳴らすと戻らせるコマンドにもなっている。
これが、「できない」のが和犬なのだ。せいぜいGPSをつけて、犬がどこにいるかを知ることしかできない。

和犬がどうやって猟師の位置を把握しているのかいえば、最初に猟師がここにいる、と示すからだが、わからなくなってしまうこともある。
それで、猟師は自分から山に入って探さずに、指定した場所に通えば多くは遭遇できるけど、そうはいかないと野犬になる。

洋犬の従順さはDNAに仕込まれていて、和犬の自由さもDNAに仕込まれている。
だから、和犬を洋犬のように扱うことはできない相談なのだ。
これが、愛玩使役の「飼育困難」の理由である。

洋犬は、「飼い主が快適」な躾を教えることが第一だけど、和犬は、双方の「信頼関係を結ぶこと」が躾よりも重要な第一で、それからやっと躾という順になるのである。
このひと手間が、スキルのない飼い主には困難をきわめる。

なんだか、上司と部下のよくある関係のようだ。
あんがいと、優秀なタイプに「和犬型」が多いのだけど、スキルがない上司には取扱ができないで、いまは「洋犬型」をかわいがる傾向がある。

わが国が成長していた時代、全員が和犬型で、これから出世するには一皮むけて猟師にならないといけなかった。
それは、部下に上手に「使われる」ということであった。

なんでも命令型は、やっぱり効率が悪いのである。

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