浜名湖の侘しい観光

「養殖うなぎ」の一大産地と知られたけれど、ピーク時からは3分の1以下になってしまった。

理由は、稚魚(シラスウナギ)の値段の高騰があるものの、外国産の安価によって競争力を失ったことが大きい。
うなぎを食べると元気になる、というのは、おとなになって実感した。
明らかに、翌日の「肌つや」がちがう。
このことに気づいたときは、それなりにショックだったものだ。

そもそも、うなぎの生態はほとんどわかっていない、という。
ニホンウナギの場合、南太平洋で産卵して生まれた稚魚が黒潮にのって日本の川に到達して、淡水の川で成魚となる。
海水と淡水を行き来できるので、生涯の行動範囲がやたら広い。
その「スタミナ」が、食した人間にも影響するのだろう。

産卵したところから養殖するのを「完全養殖」というけれど、うなぎの場合は産卵の現場がよくわからない。
なので、数センチに育った稚魚を捕獲して、これを育てる「養殖」ということになっている。
すると、外国での「養殖競争」では、かならず「稚魚の争奪戦」となって、買い負けるということもあり得る。
そこで、「コスト競争」ということが勝負を決める。

でも、そのコストの中で重要なのは、「要素価格」なのだ。
土地(の値段)、労働(の値段)、資本(調達の値段)の三つをいう。
それで、土地には、養殖池の値段も入るし、もっとも重要な「餌」の値段も入る。
良質な餌をどこからどうやって調達するのか?で、うなぎの品質が決まるからである。

これに、わが国の競合相手国では、「政治力」という要素が加わっている。
流通ルートを政治が支配しているからである。

そんなわけで、土用の丑の日ともなれば、「予約販売」もされるうなぎではあるけれど、比較的安価のは全部が輸入品ということになった。
庶民には「天然物」はもう手がとどかない。
ならば、せめて国産の養殖うなぎを食べたい、ということになったのである。

8月31日の意味が、「夏休み最期の日」ではないらしい。
はるばるやって来た、浜名湖の舘山寺あたりは、すっかり侘しさを醸し出していた。
観光客の姿はちらりほらりで、公営の駐車場も営業をしていなかった。
緊急事態宣言の影響かと思うけど、炎天下の舘山寺にも参拝客はいなかった。

「名刹」と看板にある「舘山寺」は、開祖は弘法大師とあるけれど、いまは禅宗の寺である。
「音感」がおなじ、漢詩で有名な蘇州の「寒山寺」とは、提携しているという。
どちらも「臨済宗」の寺院なのだ。
唐詩選にある、七言絶句『楓橋夜曲』は、中華料理店の飾りになっていることがあるけれど、作者の張継は、天下の「一発屋」ともなっている。

もし、コロナウィルスが存在しても、この炎天下では紫外線によって破壊され、1秒も保持できない。
「日光消毒」が効く最たるものを恐れるのだから、科学を信じないのが21世紀の人類になった。

あまたある「鰻屋」のどこにするか?
悩ましい相談ではあるけれど、知人からの口コミで行く店は決めていた。
行列ができる、ということだったけど、店内はバイク旅のひとが一人グルメをやっていただけだった。

考えてみれば、「鰻屋」というのは外国にはない営業形態である。
一種類の魚類だけを商売の対象にして、他はない。
「さばき」と「焼き」と「タレ」の絶妙は、訓練と醤油の発明がないと成りたたない。
そして、焼くときのあの「香り」こそが、臭覚と食欲がセットであることを自覚する。

「養殖うなぎ」だって、十分にうまかった。

さては、せっかくの「温泉地」なので一風呂浴びようかとおもったけれど、日帰り温泉の営業をしていなかった。
鰻屋でもらった「観光案内」を見ながら何軒かの温泉宿にも電話をしたら、「お断りしております」という日本語が返ってきて驚いた。
例えば「生憎当館では只今日帰り入浴の受付をしておりません」とかの言い方があるだろう。

電話に出るときに、館名と係本人の名前を名乗っている、まではマニュアルだろうが、そこから先は「お任せ」なのだと思われる。
営業のマネジャーも、「セリフ」のマニュアル化まではしなかったのだろう。
「ここはダメだ」が擦り込まれた。

10年以上前に、自転車で浜名湖一周をやって、くたくたになった思い出がある。
それで当時とは、舘山寺からは逆廻りとなるけれど湖周辺をドライブすることにした。
あのときの想い出が蘇って、懐かしかった。
しかし、景色に人手がないのである。

侘しさを胸に、浜松市内に戻ったのである。

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