無政府をシミュレートする

経営者集団の日本経団連が望ましいが,労働者集団の連合(日本労働組合総連合会)でもよい.
そろそろいちど,日本政府なかりせば,というシミュレーション研究をしてみたらどうだろう.
このシミュレーション研究に政治志向はいらない.
単純に,「無政府だったら」という状態だと,わたしたちの社会経済がどうなるのか?という研究である.

社会保障が国民皆保険であることも,善し悪しのはなしではなく,「なかりせば」だから,ぜんぶ白紙にするとどうなるかである.
この,どうなるか?も,わたしたちにとって,であって,政府の債務がどうなるか?ではない.
むしろ,民間の年金保険や,積立ファンドの活用の意味になるだろう.

つまり,政府の関与をぜんぶ出すのだ.
必要なこと,不要なことという仕訳では,政治信条が入り込むし,現状を基礎にかんがえることになって,「白紙」からのはなしにならないから,機械的に消し去ることがもとめられる.
それから,わたしたちのためになることを抽出すればよい.

たとえば,警察.
だれだって,警察がなくなったら犯罪がふえてこまるとかんがえるだろう.交通事故の処理もできないから,自動車保険の受け取りにもこまる.
しかし,警察の仕事は,ほかにもいろいろあって,なかでも「許認可」という仕事に注目すると,おおくが「公安委員会」から引き受けていて,いわゆるふつうの役所のような「行政」がおこなわれている.
公安委員会は行政を警察に丸投げしているのに,警察を監視するというのは,陳腐なしくみである.

おなじく,消防.
だれだって,消防がなくなれば火災のときに誰が消すんだになるし,救急車がやってこないと命にかかわる.
しかし,救急車が訓練されたタクシーでいけない理由はないだろうし,やっぱり消防法にある各種規制のために,「行政」がおこなわれている.

マイナンバー制度ができたのに,どうしていまだに「戸籍」があるのかもわからない.
世界をみわたすと,「戸籍」があるのは日本周辺国の数カ国にすぎない.

ちなみにアダム・スミスがあげた国家の役割は,以下の三点だった.
・国防
・司法行政
・公共設備

国防には外交がふくまれる.
外交の延長線上に戦争がある,というかんがえ方は世界の常識だから,平和憲法があるから戦争はおきない,という発想とはだいぶちがう.

司法行政は,独占市場(航空業界、携帯電話、放送業界など),外部性(公害防止・対策),情報の非対称性(市場の失敗の原因)を,社会全体の利益から調整するという機能が求められるものだ.

公共設備も,収益性がなくても社会インフラとして用意しないといけないものは,国家が面倒をみなければならない.

これは確かに古典的だが基本である.
しかし,このかんがえを拡大解釈してきた歴史があるのも,また事実である.
そして,拡大解釈と公平な分配というかんがえがくっつくいて,社会主義がうまれた.
みんなから集めたお金を政府がつかう,といったときの「つかう」が「分配」になるからだ.

どのように「つかう」のが,社会にとってもっとも合理的であるか?という発想で経済学がうまれたが,「つかいかた」に公平性重視という力学がはたらくと,社会主義経済になる.
そして,それが拡大すると,はたらくことよりも分配をもらう方が得になるという逆転がうまれて,経済活動が停滞するようになる.

こうなると,みんなで貧乏になる,という仕組みが完成したのとおなじだから,分配をきめる政府が,頑張れば頑張るほど,国全体の貧乏が加速されてしまうことになる.

いま,わが国はたしかに,米国とは軍事的な同盟関係にあるが,分配という価値感でかんがえれば,アメリカ人なかでも共和党と日本の国情は正反対にある.
だから,「自由と民主主義という『共通の価値感』」を,米国とわが国は共有していない.
自由と民主主義を日本政府はぜんぜん重視していないのに,重視しているふりをしているのも,詐欺的である.

すると,あんがい「無政府」でも悪いことがすくないのではないか?

労使でシミュレーション研究をやる意義はあるはずである.

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