特許は役に立たない

ニュース記事で,特許取得件数や申請数が話題になることがある.
しかし,ほんとうに「特許」にはメリットがあるのだろうか?
最先端の技術にかぎっていえば,かなりの研究成果が「特許申請」をしていない.
そのかわり,「極秘」あつかいになっている.

特許を申請するには,その技術を図面等であきらかにしなければならないから,特許制度を悪用する不届き者にとっては,盗み放題になるという側面がある.
もちろん,このようなことにならないように,不正をしたものにはペナルティーが用意されているのだが,国境をこえて他国での「不正利用」となると,かんじんのペナルティーを要求することに多大なるコストを要して,泣き寝入りとなることがでてきた.

つまり,「特許制度」がグローバル化というなかで,崩れだしているのである.

いっぽう,「特許制度」そのものに反対の姿勢を表明したのがハイエク「個人主義と経済秩序」である.

「自由」を最上位の価値感とする彼には,「発明者を保護する」と称して,「発明」そのものを「国家管理」にしようとする「自由への侵害」とみえたのだった.

だれもが「特許制度」の有用性を認めていた時代の「異論」であったから,ハイエクの主張はみごとに無視されたが,上述のように,国境をこえて悪用されるようになった昨今,ハイエクの見直しがおこなわれだしている.
これに,「商標権」や「著作権」もくわわると,「知的財産権」というおおきなかたまりになってきて,その提示する問題はたいへんやっかいな様相をしめすから,なおさらハイエクが再読されるようになった.

残念ながら,飲食業では,「料理レシピ」は知的財産としてみとめられていないから,「著作権」の対象にならない.
実務では,「料理レシピ=作り方」が問題なのではなく,作り方にかんたんには表現できない「技術」が重視されるからだ.
つまり,料理人の「腕前」ということであって,それは,「無形文化財」という方向になる.

そのわりには,料理人の地位は高いとはいえまい.
これは,まだまだ社会が,料理人のすごさ,を認識していないということなのだろう.
かつてヨーロッパの宮廷では,使用人のトップが「料理長」だった.
あのモーツァルトやベートーベンも,宮廷おかかえの作曲家であり演奏家であったが,宮廷における音楽家の地位は,ほぼ最低クラスだった.
だから,食卓の音楽は,料理長が指示していたにちがいない.

国家が介入すると,まずは「資格制度」にてをだす.
すでに「調理師」は国家資格だから、この細分化がテーマになるはずだ.
「級」や「段」を設けるかもしれない.
さらに,栄養士との結合もありえる.
とにかく,人口が減少するから,そのうち「栄養士」だけでは生活がなりたたなくなるかもしれないからだ.

「自由主義」的な知的財産権の特許制度論があるなかで,無形文化財という分野の国家介入は,ずっと介入しやすい分野だろう.
ほんとうにちゃんとした料理が,これからも食べられるのか?

しかし,ファストフードやコンビニ・スーパーのお惣菜のなかにある「添加物」によって,味覚が破壊された現代人は,伝統的なダシにふくまれる「うまみ」を感じなくなるかもしれない.
すると,伝統的日本料理の分野で,政府がみとめる「有段者」の料理を,はたして「さすが」とみとめることができるのか?単に,権威主義によって,「おいしい」とことばにするしかないのか?ということがおきるかもしれない.

ましてや,幼少時から「添加物」で味覚が破壊されたひとばかりとなれば,料理人すら「味覚」があやしいということになる.
すると,味の調合はAIの役目になるのか?
それで.本格的料理が「まずい」とされたら,問題になるのはひとではなくAIの方だろうから,本格的料理の運命はもはや風前のともしび状態になる.

だから、「自分事」なのだ.
ぜんぜん別の問題のような,知的財産権の問題然り.
あんがいはやく,正念場がくるかもしれない.

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