相模川を越えられない

横浜市民があんまり意識しないことで有名な神奈川県は、律令時代からの相模国と武蔵国を中心に成り立っている。
これに、三浦が付随していて三多摩(西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡)もあった。
半島の三浦はいまでも神奈川県だが三多摩は「東京府」に移管されてしまったので、歴史に興味が薄い「都下の都民」にはなんのことかわからないだろう。

ざっくり簡単にいえば、東京市を形成していたいまの23区以外は神奈川県だったのだ。
隣接する町田市はもちろん、吉祥寺がある武蔵野市だって神奈川県だった。
これを決めたのが、明治4年に神奈川県知事になった陸奥宗光だ。

分割の原因は、多摩川と玉川上水の「水利権のもつれ」に「自由民権運動」がくっついて、「官選」だった当時の神奈川県知事が面倒になって、「あっち行け」といったことにあった。時は明治26年。

驚いた三多摩では、神奈川県に留まりたい運動を必死(結構過激)にやったくらいだから、ひとの心のうつろいというものはわからない。
養蚕農家を中心に絹製品を横浜港からの輸出で稼ぐには、神奈川県にいたほうが有利だとかんがえたのだ。

今どき、よほど都政が狂えば別だが、この地域で神奈川県復帰運動なんてだれも興味がないだろう。
もちろん、県政がちゃんとしていることが条件だけど、こちらも危ない。

日本が重化学工業で近代化して、欧米列強とならぶ「一等国」になるまでも、なってからも、絶対的に稼いで支えたのが「線維産業」だった。
八王子と横浜港を直結していた、JR横浜線が敷設された理由がここにある。

桜木町(初代横浜)駅前の日本丸横にある鉄橋が、ワールドポーターズまでの近道になっているけど、ここにある線路こそ、まさに「それ」なのだ。
むかしはその先の、赤レンガ倉庫までつながっていた。

多摩川はいまでも神奈川県と東京都の境をなす。
いまは「京浜工業地帯」というよりも、大東京の外郭をなすようになったから、ひとと物の移動のために、それなりの数の橋梁がつくられている。

鉄道も海側から、京浜急行、JR京浜東北線、JR東海道線、JR横須賀線、東急東横線、小田急線の六路線があって、これに相鉄線が相乗りしている。さらに貨物専用線だってあって、通勤時には「ライナー列車」も運行されている。

道路は、有料で湾岸線、横羽線、第三京浜、東名高速の四本がある。
一般道にも橋梁はたくさんあるけど、それなにりボトルネックが発生するのは、日常でもある。
「橋」が周辺移動の集中をうながすからである。

さて、相模川はどうなっているのか?
鉄道は、やはり海側からいえば、JR東海道線、小田急線の二本となる。
間に一応、東海道新幹線があるけれど。
道路だと、有料で新東名、東名高速、圏央道相模原愛川ICの三本となるけど、渡河して対岸に向かうという感覚からは離れる。

一般道は、河口の国道134号線湘南(トラスコ)大橋(上下4車線)、国道1号馬入橋(上下2車線)、湘南銀河大橋(上下4車線)、神川橋(上下2車線)、戸沢橋(上下2車線)、相模大橋(上下2車線)、あゆみ橋(上下2車線)、国道246号新相模大橋(上下4車線)、座架依橋(上下2車線)、昭和橋(上下2車線)、国道129号(上下4車線)、高田橋(上下2車線)、小倉橋(交互)、新小倉橋(上下4車線)をもって城山ダムにいたる。

ダムまで全部で14本の橋がかかる。
神奈川県は、この本数で「県」となっているわけだ。
問題なのは数もしかりではあるが、橋と橋の間隔に距離があるため、かんたんに迂回できないし、車線数が少ない。

ちなみに、厚木市中心にかかる相模大橋とあゆみ橋の間隔はすぐ横にあるけど、あゆみ橋の上流で相模川は中津川と合流する。
ために、その先の国道246号まで、一般道に橋はなく、さらに上流をたどれば、ダムまで6本しかないのである。

もちろんだが、宮ヶ瀬ダムにつながる中津川も渡らないといけないはずだが、こちらは丹沢山塊の縁にあたるので、主な道路は国道412号しかない。

そんなわけで、じつは神奈川県は地理的に分断されている。
西岸の平塚市、厚木市と東岸(茅ヶ崎市、寒川町、海老名市)を結ぶ一般道の橋は、河口から246号まで、8本しかないばかりか上下4車線の橋はたったの3本なのである。

また、気候も分かれていて、たとえば冬場、丹沢降ろしが相模川で水分を得るため、丹沢に近い西側よりも東に影響して、あんがい雪を降らせる。
東京に向かう東名高速で、相模川をわたったとたんの大雪で、わずな距離の海老名サービスエリアにさえたどり着けないことがある。

厚木の住民が、対岸の海老名は寒いといって震えるのには根拠があるのだ。

ダムによって水量を制御しているとはいっても、ダム上流で豪雨となれば放流を余儀なくされる。
ために、相模川の河川敷を狭めることはできない。
いまでも、たった一回の台風で風景がかわるのである。

これに、都市計画が追いつかず、橋と接続するための道路がつくれない。
両岸とも、堤防の外はすっかり住宅地になっている。

人間がいう「発展」を妨げるのは、自然の地形と人間の営みとの双方なのである。
移動の不自由が、どれほどの損失をつくっているのか?

専門家に聞いてみたい。

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