科学的アプローチという基本

経営であろうがなんであろうが、現状に満足していないなら、どのように「改善」するのか?は、永遠のテーマにもなりうる重要事項である。
ふつうは、めったに、現状に満足することはないからである。

この、「現状不満足」という精神状況が、人類を発展させてきた原動力である。

「必要は発明の母」といわれた時代をとっくにとおりこして、いまでは「発明が先で、利用方法は後」になっている。
その典型が、「高分子ポリマー」で、自分の体積の何倍もの水を吸収する物質が実験室でうまれた。

なにに使うのがよいのかが、発明当初わからなかった。
結果的に、紙おむつになったり、砂漠農業の切り札ともいわれた。
しかし、初期の紙おむつの「ゴワゴワ」や「漏れ」を改善したい、という「現状不満足」がでてきて、やっぱりどんどん進化させるのが人間なのだ。

それは、砂漠農業での応用もおなじで、ただ砂に混ぜれば水分が確保されて作物が育つ、という当初のアイデアどおりにはいかなかった。
その下の地面から、水をもとめた「塩」が上がってきて、すぐさま深刻な「塩害対策」が必須になったのである。

なにも相手が物質ではなく人間であっても、「現状不満足」を改善するには、基本的なアプローチ(接近方法)がある。
それが、「科学的アプローチ」といわれる方法である。
応用範囲がやたら広いので、「基本」なのだ。

こうした「方法」には、「順番」がある。
「順不同」ではいけないのは、2+3×4=14が「正解」になるのとおなじで、正しい順番で行うことも「科学的アプローチ」なのである。

1 目的を明らかにする
2 事実をつかむ
3 事実についてかんがえる
4 実施方法を決める
5 実施する
6 確かめる

この「順番」に、先の式「2+3×4」をあてはめてみよう。
1 目的を明らかにする:計算の答をもとめたい
2 事実をつかむ:おなじ式の中に足し算と掛け算が混じっている
3 事実についてかんがえる:足し算が先か?掛け算が先か?
4 実施方法を決める:掛け算をしてから足し算をする
5 実施する:3×4=12 12+2=14
6 確かめる:検算する

小学校の算数が、科学的アプローチで成り立っている。
算数や後に習う数学の「論理性」とは、こんなところではっきりしているのだ。

これを、先生が学年の最初に教えないで、延々と「定理の証明問題」を無機質にやるから、生徒たちのおおくが飽きてきて、学年があがるほど「脱落」するのである。
それは、「1番」の、「目的を明らかにする」という手順を省くだけでなく、いきなり「5番」の「実施する」をやるからである。

数学教師の教育方法が、ぜんぜん科学的アプローチではなくて、「論理」さえも無視を決め込んでいる。
問題を解く方法ばかりを教えることが、数学という課目だと勘違いしているのは、まったく「目的合理性」を欠くことに気づかない証拠なのだ。

こんな勘違いは、他の科目もおなじだ。
「テストの結果」を統計処理して、偏差値を計算する。
それで、生徒の出来・不出来を確定するのは、テストの「目的」と合致するのか?

もちろん、「成績表」をつけなければいけないが、テストの目的が「生徒の理解度チェック」であれば、おおかたの生徒が理解しているところと、理解していないところを「統計処理」して、それを授業で応用しなければならない。

おおかたの生徒が理解していない部分があれば、そこは教師の「教え方がまずかった」という意味になるのである。
そうなると「教えていないも同然」なのに、出来が悪いことを生徒たちのせいにする教師というものの存在価値すら疑われる。

これをきちんと実施しているのが「塾」や「予備校」だから、生徒は学校で部活にはげみ、勉強は「塾」や「予備校」でするものになったのだ。

しかし、「科学的アプローチ」をちゃんと教えるおとながいない。
そのおとなたちも、ちゃんと「科学的アプローチ」を教わらなかった。
そんなわけで、日本社会全体が、「科学的アプローチ」を意識しないでいる。

「啓蒙主義」の新聞やテレビもこれを言わないのは、国民が賢くなると困るからである。

かんがえる時間をつくって、生活や業務を、「科学的アプローチ」で見直すと、ちゃんとしたものが見えてくるはずである。

たとえば、新聞やテレビの「啓蒙主義」が、おそろしく的外れで、悪意に満ちていることとか。
「あたらしい日常」のいかがわしさとか。
いつまでたっても、マスクをしているとか。

小児科医会が、子どもにマスクは危険だと発表しているのに、学校は厳しくマスク着用を言いつけているとか。
感染しないと免疫システムが発動しないのに、感染そのものを「恐怖」にしたこととか。

「はしか」や「おたふく風邪」に、子どものときに感染・発病することで、一生かからないことを忘れてしまった。
事実をつかめば、今回の大騒ぎは、国内に限定すると、むかしからの「風邪は万病の元」の「風邪」だった。

かつて、南米の文明人たちが、スペイン人がもちこんだ「天然痘」の免疫がなくて滅亡した。
いま、白人たちを中心にした地域で、死亡者がおおいのはこの逆か?

きっと、科学的アプローチから、解明されることだろう。

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