種明かしをするマジシャン

マジシャン,むかしなら「手品師」が,いちど演じて拍手を得てから種明かしをして,もういちど拍手を得ることがある.
その見事な手さばきは,種が明かされたといっても,決して見劣りしないし,その場でやってみろといわれても,にわかに自分の手がいうことをきかない.

もちろん,一流で有名になったマジシャンがする,種明かしをしたマジックは二度とつかえないから,あらためてかんがえれば,すさまじい「自信」である.
こんなの「朝飯前」という余裕と,種はいくらでもあるという余裕なのだろう.
その発想の柔軟性に,驚くばかりである.

むかし勤めていたホテルで,顧客を対象にしたマジック企画をやったことがある.
少人数限定で,会場は個室をもちいた.
演目は二部構成で,第一部はプロマジシャンのテーブルマジックショーである.
第二部は,プロが市販の手品グッズの模範演技をしてから,二種類をお客様が選んで,これをマスターしてもらうための指導をする,という内容だった.

フリードリンクにしたが,だれもおかわりをしない,珍しい事象が起きた.
皆様それどころか,マジシャンの手許に「集中」していた.
第二部は,事前におもちゃの手品グッズでこれからどれかをマスターしていただく,と案内したのに,ショーの延長だと勘違いするひとがたくさんいた.

いよいよ,自分が選んだおもちゃでやってみるのだが,なんとも無様なのである.
それを,プロが丁寧にアドバイスすると,終了の頃には皆さん様になっていた.
その満足度は高く,スタッフにまで厚い礼を頂戴した.

おもちゃといえども,ちゃんと練習すると,すばらしい演技ができるものだ.
その種は,わかってしまえば実に他愛もなく,子供だましのようであるが,自信たっぷりの手さばきと組み合わさると,おとなが口を開けてしまうものに変身する.
これが,趣味としてマジックを愛好するひとたちのやめられない理由だろう.

すばらしい旅館も,これに似ている.
ほんのわずか,お客様の要望を先回りしてやってくれることが,いわゆる「気遣い」であって,それがたいへん心地よい.
その心地よさにうっとりする姿をみることが,サービス提供側のやめられない理由だから,マジックとおなじなのだ.

だから,すばらしい旅館には,種も仕掛けもたくさんある.
お客様に,「種も仕掛けもありません」ということまでマジックとおなじだ.
その種や仕掛けは,どうなっているのか?
じつは他愛もないことであることがおおい.

しかし,サービス手順のいたるところに種と仕掛けがあって,そのうちのいくつかを,地雷のようにお客が踏むと,この地雷は心地よさを爆発させる.
いい宿は,これらの種や仕掛けを,ドンドン仕込んでいる.

ちょっと前までは,アナログで仕込むしかなかったから大変だった.
秋になってリスが餌を地面に隠す行動をするが,そのおおくが忘れられて,春に発芽する.
木の実というリスへのご褒美で,いくつかを地面の適度な深さに埋めさせる木々の戦略は,おそろしくよくできている.
しかし,人間がやる仕込みは,忘れてしまうと結果が出ない.

いまはデジタルの時代だ.
おかげさまで,デジタルだと検索が簡単にできる.
それで,せっかくの仕込みを忘れないですむし,思いださせてもくれる.
これは便利な時代になった.

ところが,アナログだろうがデジタルだろうが,お客様のちょっと先をいく種と仕掛けをあらかじめ仕込んでおこうという「意志」がなければ話にならない.
つまり,この「意志」の有無こそが,その後の明暗をわけるのである.

マジシャンから,すごいことが学べるものだ.

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